クリエイティブな現場では、受注仕事であるにも関わらず自分の世界観を強調したがるクリエイターがよくいる。基本的に受注仕事は、クライアントに限りなく寄り添って作品を作り納品しなければならない。商業音楽や映画などはその類に属するだろう。極端にいえば、自分を殺した上で創作にあたるわけだが、もちろん、自身の持てる能力すべてをなしにするわけではなく、クライアントへの納品時に色をつけて自身のエッセンスを注入する方法も悪くはない。今回お話しするのは、そんなクリエイター同士で起こる摩擦と尊厳についてだ。
求められている要望に応えず、ゴリ押しで自身の世界観を強要してしまうとどうなるだろうか?もちろん、待っているのは”争い”だ。初めから自分の作りたいものだけを作っていくのなら、誰かの依頼を受注する立場であってはならないと僕は思う(依頼主に、あなたの自由に作ってくださいと頼まれたら別の話だが)。
良かれと思って自分なりのエッセンスを投入することを悪いと言っているわけではない。問題は投入する分量だ。依頼主の要望に対し、100%の自分を投入してしまうと、それはアドバイスでもアレンジでもなく、ただの”改竄”にしかならない。依頼主の構想の原型がなかったことになるからだ。その方が築いてきた歴史を塗り替えてなかったことにするようなもので、もっと悪くいえば「その人のアイデアを真似て作った紛い物」である。
クリエイターは、自分の発想を形にすることに高いプライドを持っている人が多いが、商業的な依頼となると堪えなければならないこともある。でなければ、その先にあるのは尊厳の落としあいだ。クリエイターでいう尊厳は、アイデンティティに近しいものがある。つまり、要望を改竄される行為は、自分自身を否定されることと同義となってしまうのだ。
僕たちが創作をするのは、今と未来をより豊かで平和な世界にするためだ。十人十色という言葉があるように、人間にはそれぞれ得手不得手があり、考え方も価値観も多様である。歌手同士であろうが映像クリエイター同士であろうが関係ない。違うことが当たり前の世界で生きているのだ。だからこそ、その違いを認め合い寄り添う気持ちを持っていなければ、お互いのプライドを傷つけ合うだけの戦いだらけの世界となってしまう。
どうしても自分のアイデアも取り入れたいのならば、クライアントの要望に素直に応えた作品に色をつけて、「ちなみに僕ならこうする」という2パターンの作品を納品してみることをオススメする。クライアントに選ぶ権利を知ってもらえるし、新しい発見をするチャンスにもなる。自分のアイデアが選ばれない可能性だってあるが、それは仕方のないことだと割り切って進むしかないのだ。
どんな要望でも素材をそのままにどれだけ素晴らしい作品を生み出していけるのかも、僕ら創作者に求められる手腕であろう。初めから自分の領域に寄せていくのではなく、受注仕事においては、相手の世界を尊重し敬意を払った仕事に従事していきたいものだ。
あなたはどう思うだろうか?
それでは、また。
3月24日「MAGUMAマンスリーコンサート Vol.3」
場所:yomihana~宿花~
神戸市中央区加納町4-7-26藤嶋ビルB1
時間:開場 17:30 開演 18:00
料金:3500円(1ドリンク代込み)
限定20名様まで。
※コンサート後も宿花でご飲食可能です。
※食べ物のみ持ち込みOK。
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