広告 筆者の思想

お金がいらない世界

もしも、お金が必要のない世界ができたら? お互いのスキルを交換し、ビジネスができる時代が来たら?

お金について異常に熱心になり出した頃から、僕は「お金のいらないマーケット」を考え始めた。

関連記事

恥ずかしながら、僕はお金の扱い方が人並み以上にヘタクソだ。これまでたくさん稼ぐ機会があったにも関わらず、未来への貯蓄がまるでなっていない。我ながら嘆かわしいことだ。

齢33……今年で4の歳になるタイミングで、今更ながら僕は必死になってお金の勉強に励んでいる。「老後のため」と言えば大層かもしれないが、大切な人守るためにもやりたいことをやるためにも、やはりまだまだお金が必要となってくるからだ。

おかげで使い方、稼ぎ方、増やし方の他、必要なものとそうでないものの区別もつけられるようになったが、時すでに遅し。なけなしの状態から建て直すのはそう簡単なことではない。一昔前に今の知識を仕入れていれば現状も少しは変わっていただろうが、いくら後悔したところで後の祭りだ。根気強く地道にがんばっていくしかない。

ある本では、「義務教育はお金のために働く人材を鍛える場所で、お金を働かせる術を教る場所ではない」と言う。確かに、お金に関するノウハウを教えられた記憶はない。僕らはお金の稼ぎ方や増やし方を把握できていないどころか、国民として義務化されている年金や税金についても何一つ教わらなかった。結果、社会で働くためにとことん矯正された状態で、無知のまま世に駆り出されているのだ。

能動的に学んだ者。もしくは良き師が近くにいた者にしか大富豪への道が確保できなかった。環境のせいにするのは甘い考えかもしれないが、教育の場でお金の在り方を教えないのは問題だったと思っている。現在では見直されているようだが、今から僕が小学生をやるにも無理がある。文句を言っている暇もない。だからこそ、急拵えでお金について学んでいるところなのだ。

平たく言えばお金持ちになりたい。しかし一方で、お金が必要のない世界にも想いを巡らせている。

キッカケは些細な疑問からだった。「そもそもお金はどうやって生まれたのか?」。僕は簡単にお金の歴史を調べてはじめていた。

遠い昔、まだお金という概念が存在していなかった頃。我らの祖先は、物々交換で欲しい物を手に入れていた。漁師であれば獲った魚を手渡す代わりに、畜産農家から牛や豚の肉をもらうという等価交換が行われていたのだ。

お金に縛られて生きている僕からすれば、喉から手が出るほど蘇ってほしい夢のような取り組みだった。では何故、等価交換の文化がなくなってしまったのだろうか?答えは、「物はいずれ朽ちてしまう」ところにあった。

当然、劣化品の価値は低下していく。わざわざ賞味期限が切れた品と交換したいと思う者はいない。食べ物であれば腐る時間も早いため、交換するならスピード勝負だ。とにかく猛ダッシュですぐ交換すれば良いのでは?と思うだろうが、そうは問屋が卸さない。何故なら、「欲しい時に欲しいものがあるとは限らない」からだ。

自分を中心として周っていない世界で、どんな時でも保有し続けることができ、どんな時でも受け渡し可能で、いつまで経っても腐らない価値はないものか。やがて人類は、半永久的に価値を保ち続けられる物を開発する。これがみんな大好き「お金」が生まれた経緯だ。

愛おしくて憎らしいお金という存在は、人類を豊かにする代わりに、いとも簡単に支配し掻き乱すようになった。お金のために生きているのか。お金を利用して生きているのか。どちらの境目も曖昧であるが故に振り回され、やがては富裕層と貧困層に分断されたのだ。今では二極化も進み、狭間にいる中流階級の住人が厳しい局面に立たされてしまっている。世界は確実に、グレーゾーンの殲滅に取り掛かったようだ。

僕は、現代に物々交換が蘇るとどうなるか考えた。更に、物質的価値の交換だけではなく、スキルの交換もできる媒体はないものかと。

そこで思いついたのが、お金が発生しない「スキルの等価交換」ができるココナラのようなサイトだった。

利用者は自分が提供できるスキル(または物)をポートフォリオ付きで投稿。同様に求めているスキル(または物)も開示してマッチングする。利用上、お互いの持っている価値の見える化は大前提。評価機能も追加しておけば信用度を確認することができる。何よりも大事なのはそこにお金が発生しないという仕組み。

生きている限りお金は絶対に必要だ。時代は変化しているとは言え、お金がなくなる世界はおそらく訪れない。電子書籍が主流になっても本はなくなっていないし、ネットで気軽にニュースが見れる時代になっても紙媒体の新聞は根強く残っている。同じくお金の文化も、社会の真髄にまで刻み込まれている以上は消えることはないだろう。

だからこそ、お金のいらない世界は必要だと思っている。

お金がある世界とない世界とでバランスが取れるツールもあっていいはずで、人には生き方を選ぶ権利がある。媒体が出来上がれば、お金から解放された生き方のウォーミングアップにもなる。人々がもっと気軽に作品作りができる時代も来るかもしれない。しがないアーティスト目線の願いだが、社会実験としてやってみる価値は大いにあるだろう。

お金の勉強については、今ではYoutubeや書籍で気軽に学べる機会が増えた。どうぶつの森にも、毎週日曜の午前中に「カブリバ」というイノシシがカブを売りにくる(今ではウリというイノシシの子供に変更されているが、もしかしてカブリバ死んだの?)。売値は週によって様々だ。プレイヤーは懐と相談して買う個数を決め、次の週までに「たぬきち商店」で買値よりも高い値段を狙って売るわけだ。もちろん日毎に値段は高くなったり安くなったり変動する。

株の投資要素をわかりやすく落とし込んでいる画期的なイベントになっていて、上手くいけば一攫千金を狙えるようになっている。ちなみにこのカブは一週間経てば腐ってしまうため、腐るまでに売ってしまわなければ価値はなくなってしまう。いつ高値になるか、見極めるのが非常に難しい。子供向けのようでいて、どうぶつの森はスリル満点のギャンブルゲームでもあるのだ。

カブリバはどうぶつの森の初代(2001年)から実装されているシステムのため、気がつかないところでお金について学べることはたくさんあったのかもしれない。この世を制するのは情報強者のみ。常にアンテナを貼り続けることが重要であると頭に叩き込んでおこう。

お金がいらなくなる世界。招くのは混沌か、はたまた楽園か。変革には必ず大きな犠牲がつきものだ。社会に何かしらの動きが起こった時。お金の在り方が変化する瞬間に立ち会えるかもしれない。

僕はエンジニアでもなければ革命家でもない。ましてやイケてる実業家でもない。ただ思っていることを勝手に口にしているだけだ。もし、僕のアイデアを実現化してくれる猛者がいるようなら、是非とも連絡してほしい。世界の常識を覆す、原始的であり未来的な取り組みになるはずだ。

この記事を読んでいるあなた。僕の持っている価値と、あなたの持っている価値を交換してみないか?なかなかにスリリングな取引になりそうな予感がする。ご連絡の際は、必ずポートフォリオ(持ってる価値の質がわかる作品の動画や写真)の提示をお忘れなく。

ちなみにスポンサーも募集しているのでお気軽に(金の亡者)。

-筆者の思想
-, , , , , ,