筆者の思想

文芸と僕

今更だが、詩と向かい合う時間を大切にしている。感性に頼り切ってこれまであまり見直す機会がなかったのだが、深みのある物語を一編の詩に落とし込むには、やはり相応の時間を費やす必要があると感じたからだ。言葉ひとつで意味も変わってくるし、同じ言葉であっても表現一つでダサくも格好よくもなる。この技術は作詞のみならず、物語を執筆する小説や舞台・映画の脚本の制作にも通ずるものだと思う。とにかく、掘り下げることが大事なのだ。

僕の場合は、パソコンやiPhoneのメモ機能などのデジタルな世界に書かないようにしている。基本的に、ノートとペンがあればそれでいい。ジャーナルや覚え書き、即席ToDoリストの制作にも役立っているノートに、その日その日、テーマを決めて詩を綴ってみている。だが、最終的にまとめるときはパソコンにタイプしている。

詩を書くときに悩み込んでしまうのはいつものことだが、それでも、悩み方がいつもと違っていることに気がついた。詩との向き合い方を変えたせいだろうか。情景や主人公。想い。夢。誰の視点なのか等々。見えない制約の中で究極の短編小説を書き上げなければならないというプレッシャーは、脳みそに良い意味で刺激を与えフル回転させてくれている。だからと言って芸術的な詩を作れるようになったのかはわからないが、それでも、僕はこれが大きな第一歩だと自負しているのだ。

完成した詩は、各コンペにエントリーするためにストックしてある。ここに載せる時もあるだろうが、今後はコンペの結果次第で掲載の有無が決まるため、詩の投稿は極力控えることになると思うのでご了承願いたい。正直、このホームページにどんな人間がアクセスしているのかはいまだわからないが、もしも、僕の詩を楽しみにしておられる方がいたら申し訳ない。是非とも、コンペで入賞し、作家MAGUMAのランクアップを祈ってくれると幸いだ。

最前線の芸術ビジネスはスピード勝負だが、僕はゆっくりと作品と対になる時間が実は好きだ。物語の創作に没入しているときは、言葉や文章では説明が難しいほどの幸福感に満たされているからだ。ここをビジネスに昇華させることができれば願ったり叶ったりなのだが、それは今後の挑戦にエネルギーを注ぐとして、とにかく僕は、どうしてか書くことが好きなようだ。

活字に触れることが嫌いだった頃が懐かしいし、どこをどう間違って今の自分に辿り着いたのかわからない。いかに無意識に選択を繰り返してきたのかがわかる滑稽な流れだ。これからはしっかりとした自覚を持って、未来を選択していこうと思う。それこそ、自分の人生の物語の執筆者は自分自身なのだから。

将来なんて、どうとでも書き換えられるのだ。

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