広告 筆者の思想

人の寿命を吸い取って生きる「時間泥棒」の話

「時は金なり」

時間は大切なものであり、金銭と同等の価値がある。だから、時間をむだに費やしてはならない。(コトバンク一部抜粋)

「Time is Money」。日本語に訳して、「時は金なり」(機会損失という表現でも用いられている)。かつて、アメリカ建国の父「ベンジャミン・フランクリン」が残した格言だ。

時間という概念は人間が作ったもの。おかげで人は、日々、時間に追われながら生きることになってしまった。ルーズな性質の持ち主にとっては耐え難い常識だ。歳をとり老化が進む原因もこの概念のせいではないかと個人的に思っている。

あなたは時間泥棒になってはいないか?自分の都合を優先させて相手の時間を奪ってはいないだろうか?時間を「盗む」と「買う」とでは大きな違いがある。例えば、僕らが飛行機や新幹線にお金を払うのは、機械のためではない。遠方まで出来るだけ早く到着するための「時間に対価を払っている」。僕らは泥棒ではなく、時間と時間を等価交換できる商人にならなければならない。冒頭の諺(ことわざ)にもあるように、時間は命と等しく価値がある貴重なもの。お金を使うことと同様、時も確実に減っていくのだ。

もしもの話をする。あなたが、知人を生産性のない飲み会に誘ったとしよう。愚痴を言いながら暴飲暴食を重ね、やがて朦朧としながら解散する。もちろん、話した内容など覚えていない。いつものように帰宅したあなたは、シャワーも浴びずにベッドに飛び込む。翌日、知人から昇進の機会を失ったと連絡が来る。「準備不足だった」ことが原因となり、知人は見事にチャンスを逃してしまったのだ。お互いに何も生み出さない現場で時間を無償提供したことが招いた結果だった。

以上の例からわかるのは、貴重な財産を明日のために使っていれば、不幸な出来事を回避できたかもしれないこと。飲んだお酒のせいでコンディションが整っていなかったのかもしれないこと。お酒を控えめにし、話の内容を生産性のあるものにしていれば昇進に生かせたかもしれないことだ。長い人生における幸福のキーは、時間との向き合い方によって大きく左右されることがわかる。

何も「酒を飲むな」と言っているわけではない。時間を命と捉えて生きていくのならば、自ずとお酒の数や滞在時間を節制できるということだ。

心当たりのある方もいるだろう。もちろん、僕自身の体験談も交えて自戒の念を抱きながら執筆している(お酒をやめた理由はここにある)。教訓があるため例として酒を出したが、飲み会に限った話ではなく、娯楽やビジネス、あらゆる事象に通じているメッセージだ。気がつけない人は、延々と無駄な時間を無駄な関係に費やしてしまうことになる。

僕もよく後悔することがある。捧げてしまった時間をブログ執筆に回せていたら、学んだ知識をアウトプットできていたかもしれない。作家として物語を創造できていたかもしれない。本をたくさん読んで、教養を深めることができていたのではないかと。

「自分が明日、死んでしまうとしたら何をする?」だけではなく。「あの人が明日、死んでしまうとしたら何ができる?」と考えることが大切だ。あなたに他人の人生の責任が取れるのなら話は別だが、きっとそれは不可能だろう。僕らに時間を操ることはできないのだから。

ただし、利用することはできる。コストパフォーマンスと言ってしまうと、ビジネス的で薄情な印象を与えてしまう。しかし、無駄を削減する行動は、より豊かな時間と関係性を築くための必要な要素なのだ。

「いつ、どこで、誰と過ごすか」。この3つのポイントさえ押さえておけば、実りのない時間を過ごさずに済む。結果的に、相手も自分自身も丁寧に扱える能力が身につくはずだ。ただ奪うのではなく、相手に貴重な時間を貢献できる存在になろう。時間と向き合うことは、あなたに時間を使いたいと思ってもらえるようなブランド力を鍛えることと同じ。時間=人間力なのだ。

時の流れには本質が混ざっている。よく見つめていなければ、いつの間にか遠く彼方へ追いやられてしまうだろう。そうなってしまっては、答えを得ることは難しい。だからこそ、僕らは毎秒、時間を意識せざるを得ないのだ。

あなたの貴重な時間を、僕のブログを読む時間に使ってくれて感謝している。今後も僕の思想があなたにとって有益になることを願って、学びとアウトプットを継続していこう。

それでは、次の記事に取り掛かる。僕に残された時間は少ないのだから。

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