筆者の思想

”環境に責任転嫁”する前に

誰にでも環境に対する言い分はあるはずだ。変化を求めるなら環境を変えろとはよく聞く話だが、違うフィールドへ旅立つことと、今いる環境に責任転嫁することは別物だと思っている。

環境を変えることは、今いる環境を否定することと混同してしまうから、言い方一つでややこしくしてしまっているのだろう。なので、僕なりに定義立てて考えてみた。

変化を求め環境を移る → 自分で責任を背負って行動するポジティブな人
環境に責任転嫁する → 環境に文句を言っているくせに行動を起こさないネガティブな人

僕の解釈としては、環境に責任転嫁し文句を言い続けている人は、後者のように行動を起こさない。自分が望んで今の環境を選んでいることに気がついていないからだろう。”お金を使うことはよくないことだ=お金持ちになりたくない”という潜在的な意識と同じで、「行動を起こさない」は「環境を変えたくない」と言っているようなものなのだ。

反対に、変化を求めて環境を移る人は「あ、私には合わないな」と分かった途端、何も言わずに足早に去っていくイメージだ。世に言う成功者が良い意味でドライなのも、良いか悪いかを選ぶ決断力が鍛えられているからだろう。ダメだと思ったら、いつの間にか別のフィールドに移動して新しい挑戦に明け暮れている。ただ、こういったポジティブな人種であれど、活動環境に文句がなかったわけではない。環境に責任転嫁をするネガティブな人種と圧倒的に違うところは、文句を言う前にさっさと環境を変えていくところだ。ポジティブな人にとって、変化を成し遂げる上で文句を言う暇もないのだろう。

以前、自分の安全領域”コンフォートゾーン”から抜け出すことについて記事を書いた。変化を恐れている人は、変わることが非常に大掛かりなものだと思っている。しかし、変化はちょっとした行動を続けるだけでいいと聞く。収縮している輪ゴムもいきなり伸ばすと千切れる可能性があるが、少しずつ伸ばしていけば可動域が上がってくる。輪ゴムの例えと一緒で、僕らも”少しだけストレスのかかる環境”へ足を踏み入れていけば、知らない間に新しい環境の住人になっているということ。唯一輪ゴムと違うのは、人間の伸び代に限界はないことくらいだろう。

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文句を言う人のところへやってくるのは、同じくして文句を言い続けるネガティブな存在だ。ネガティブな人種しかいない環境にいるのだから当然の原理で、本当に出会いたい人やなりたい自分を手に入れるためには、素早く潔く環境を移るのが一番だ。

我慢を美徳とする日本の風潮は好きにはなれないが、一度、抱いている環境へのわだかまりはそっと手放して、粛々と旅立ちの準備を進めてはいかがだろう? 僕も少しずつだが、領域を広げている最中だ。愚痴を言い続けている人は将来的に認知症になる確率も上がるらしいので、その辺りも含めて今の自分を見直した方がいいだろう。

それではまた。

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