筆者の思想

「何でもできる」は「何もできないということ」ついて

どうも、MAGUMAです。
歌手・作詞家・脚本家、その他もろもろ
いろいろなエンターテインメントを作り活動しています。

昔「何でもできるは何もできないということ」というお話を聞いたことがあります。

最初は深く理解できず「たぶん、何でもできるってことは、何でもできる分、突出した個性が見えないことを言うんだろうなぁ」と納得していました。が、ここ最近、本当は違う理由だったことがわかってきたので、今日はそんなお話です。

「何でもできる」は「何もできないということ」ついて

マルチタスクという言葉が持て囃されています。同時進行であらゆる作業をこなす人はハイブリッド感があってカッチョイ〜!ってなりますよね。僕もそんな人間に憧れてはいましたが、いかんせん自分がモノタスク……シングルタスクな人間であるが故、一度にたくさんのことを言われたり頼まれたりすると混乱してショートしてしまうことが多々あります(お恥ずかしい)どうして人間は、このように同時進行で多数のことに注意を払わなくてはならなくなったのでしょうか?

実は、僕らの祖先の時代から受け継がれているものなんだそうです。

ご存知の通り、祖先の類人猿が暮らしていた原始時代は弱肉強食の世界です。いつどこで、得体の知れない化け物どもの餌になるやも知れぬ。そのため、一つのことだけに集中していると、自分の命を危険に晒してしまう可能性が出てくるわけです。

だから類人猿たちは、あらゆるセンスという名のアンテナを張り巡らせ、危険を察知しながら作業に取り組む必要がありました。それがこの現代においても受け継がれてしまっているということらしいのです。

しかし、ここで一つ問題があります。

原始時代であれば、まだ情報の量はさほど多くはなかったでしょう。しかし、こと現代においては、情報社会と呼ばれるだけあって多くのニュースで蔓延しています。そして、インターネットという文明がより拍車をかけています。

その上、人類は唯一、脳の機能だけは進化できていない。

つまり、情報を裁き切れるだけの適応力が存在していないのです。だから過度にストレスを感じたり、病んでしまう人が多くなってしまう。文明の波に乗り切れず、溺れてしまっている状態です。ごく一部の天才と呼ばれる人間以外は、そういった脳の処理速度を理解した上で、情報と付き合っていくしかありません。そうして採算が取れている人が、いわゆるマルチタスクと呼ばれる人種なのでしょう。

何でもできるは何もできない……この言葉が意味することは「器用貧乏で何でも出来すぎるがために、本当にやりたいことに取り組む余裕がない」ことを指しているのではないでしょうか?

何でもやれる人間は頼られます。頼られるということは、それだけ自分とは関係のない課題と向き合っていくことになる。そしてそれが積み重なり、最終的には自分の課題と向き合うことができなくなってしまう。そういった人間が最終的にどうなってしまうのか……安易に想像することができるでしょう。

他人の課題は、その当人が取り組まなければならない課題です。
関係のない自分自身が請け負わなければいけないものではありません。

そこら辺の線引きをしっかりと自分で行わなければ、良い様にこき使われて無駄な時間を過ごしてしまうことになる。僕ならそんなの絶対にごめんです。時は有限、自分のことに一生懸命取り組むことは何も悪いことではありません。

自分らしさは自分のやりたいこと・輝けることでしか見つけることができないと思いますので、そのポイントと慎重に向き合って、今後の人生の舵取りをしていきたいですね。

僕も顔晴ります。

それでは今日はこの辺で。

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