筆者の思想

”生き辛い世の中”を生き辛いまま過ごすのか否か

どうも、MAGUMAです。
歌手・作詞家・脚本家、その他もろもろ
いろいろなエンターテインメントを作り活動しています。

どうして自分だけが辛いのだろう。
もっと世の中が上手くいっていれば、こんなことにはならなかったのに。

今日の記事は、ここ数日の遠征、そして人間同士のやりとりを観察している中、自分なりに考え出した答えを記していきます。まとめながら書いているので、ちょっと支離滅裂かもしれませんが、一緒に答え合わせできれば幸いです。

”生き辛い世の中”を生き辛いまま過ごすのか否か

コロナになってからより顕著になった社会の辛さ、生き辛さ。僕らは昔から「日本の経済はウンタラカンタラ」「学校の制度がウンタラカンタラ」と文句を言い、今目の前で起こっている問題を他人のせいにしてきました。

もちろん、僕自身もその中の一人であって、自分の身に大きな試練が降りかかる度に、何かに責任転嫁してしまいたくなる気持ちもめちゃくちゃわかります。

でも、ある程度、自分の匙加減で状況をコントロールできるようになった今でも、その言い訳は通用するのでしょうか?僕の答えは否です。

それぞれの世界を構築し、コントロールできるようになったということは、それだけ問題解決の術が与えられているということです。

今僕の書いているブログだってそうだし、動画を作ってYoutubeにアップロードすることもそうです。これらのツールは自分の思い描いた世界を実現できる武器にだってなり得る。もっと典型的なお話をすると、選挙だって世界を変える一つのツールです。自分一人が動いたところで社会は何も代わりやしない。この謎の常識をそろそろ崩していかなければ、僕たち人間はいつまで経っても次のステップに移行することができません。

現実的な話でも、スピリチュアルな話でも共通しているのは「たった一人の行動でも20000人に影響する」ということ。

つまり、2人が行動すれば40000万人。3人になれば60000人の人間に影響してくる。こう考えると、すごく可能性のあるお話だと思いませんか?

変化を促すために必要となってくるのは、自分の意識をおさらいすることです。自分が日々、日常で癖となってしまっている責任転嫁を認識すること。ここが重要になってくると僕は感じます。

僕は原因論でもなく、結果論でもなく、アドラー心理学が提唱している目的論を支持しています。

感情に促されてカッとなって怒ってしまった!皆様も、こんな状況が何度かあったかと思います。
でもこれは間違いで、実際は「怒りたいから・怒鳴りたいから”怒りというツール”を使った」というのがアドラーさんが掲げている目的論です。

先述した「自分一人が選挙に行っても何も変わらない」という言葉を目的論から考えてみます。でも本音を深掘りすれば、大概の人が「めんどくさい」から選挙に行かないのだと僕は思います。何せ僕がそうでしたので(笑)なので「めんどくさいから行きたくない・選挙には行かない」という明確な目的・結論があるからこそ「自分一人が選挙に行っても何も変わらない」という、ある種の体裁をでっち上げる。

めんどくさいから行かないだけの理由を、選挙に行っても何も変わらないという”国そのもの”に責任を押し付けてしまっているわけです。

大きな括りでお話ししましたが、これは些細な人同士のやり取りの中でも頻繁に起こっているものです。先日記事にも書きましたが、他人にアドバイス・指摘をするとき「愛のこもった優しい指摘なのか」「イライラをぶつけたいからなのか」「指摘している自分が気持ちいいだけなのか」によって全然違ったものになります。

本当に相手のためを想うアドバイスなら、決して当人を不愉快な想いにさせないでしょう。

しかし「イライラをぶつけたいから」「指摘している自分が気持ちいいから」という目的が先に存在してしまうと、その言葉には棘が宿り、相手を傷つけ、言い争いにまで発展してしまう。

僕たち人間は、目的を持って感情を使い分けて生きているのです。

生き辛い世界とは、本当に国や社会が作り上げたものでしょうか?本当はご自身の中で「今の環境の方が安全だから先に進みたくない」という目的があり、変化を恐れているだけなのではないでしょうか?

今の状況に不満があるのなら、あなたから変えていけばいい。

それだけの力を、僕ら一人一人が持っているし、行使することを許される時代となってきました。

自分がどうなれば幸せになれるのか……もう答えはあなたの中にあるはずです。僕も自分で記事を書きながら情報を整理し、ショーマンとして、今後世界にどうやってMAGUMA STUDIOSのエンタメを届けるかを模索・実践していこうと思います。

一緒に顔晴りましょう。

それでは今日はこの辺で。

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