筆者の思想

ゲームの遊び方を忘れた大人

小学生〜専門学校時代は、僕はゲーム大好き人間だった。

祖父からニンテンドー64を誕生日プレゼントでもらって以降。バンジョーとカズーイの大冒険。ドンキーコング64。ゼルダの伝説時のオカリナ・ムジュラの仮面等々。暇さえあれば勉強などほったらかしてゲームの世界に没頭していたものだ。中でもネットゲームにハマっていた高校時代は一番ひどい状態だった。所謂、廃人と化しており、寝る間も惜しんでオンライン上の仮想世界を楽しんでいた。抜け出せてよかったと今でも思う。

外で遊ぶこともなくひたすらゲームをプレイし続けていたあの日が、今となっては懐かしい。なぜ、今さら過去のゲーム好きの自分を振り返っているのかと言うと、現在は正反対の大人となってしまったからである。

今年で35歳となる僕は、ゲームをやっている暇があったら読書をするし、ブログや物語の執筆を行う。ゲームをやっている暇があったら、パートナーとの時間を大切にするし、物語や生き方の参考になる情報収集を行う。

一見、真面目で時間を有効活用できているかのように見えるが、実際はそうでもない。むしろ、”遊び方を忘れてしまった”ことが今の僕が抱える欠点の一つとなった。

歌手や作家として食べていくのに遊んでいる暇はない。そう思い始めた数年前から、僕はゲームや酒を辞め、無駄な人付き合いや人間関係の整理整頓を半ば強引に、かつ徹底的に行なった。

今の僕は、いざゲームをやろうとすると、1時間もしないうちに機械の電源を切ってしまう。飽きたわけではなく、頭の中が「こんなことをやっている場合ではない」と不安になってくるのだ。誰かと会って遊びにいくこともほぼなくなった。その時間を「創作の時間に充てたい」という衝動に駆られるからだ。

僕はゲームの中でもゼルダシリーズが一番好きなのだが(物語と音楽がピカイチ)、ニンテンドーSwitchで発売されたゲーム「ゼルダの伝説 ティアーズオブザキングダム」ですら、発売日当日に購入してから一度もプレイをしておらず、ディスクやケースは新品そのままの状態だ。あんなに好きだったゼルダシリーズでさえ、僕の凝り固まった思考にストップをかけられてしまっている。

作品作りやパフォーマンスの面で反映される遊び心も大切な要素であることは重々承知しているのだが、当時のような無我夢中で遊ぶ心がどういう風に成り立っていたのかもはや思い出せない。こうして人間は大人になっていくのだなと、身をもって体感している今日この頃だ。

同情を招きそうな悲しい記事となってしまったが、これも僕の脳内の整理整頓を兼ねた文章力向上における特訓の一環なので、どうか多めに見ていただければ幸いだ。せめてゼルダの伝説ティアーズオブザキングダムくらいは遊べるようになれるよう、読者の皆様も祈っていてほしい。

いつまでも子供心を忘れずに。

それでは、また。

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