どうも、MAGUMAです。
歌手・作詞家・脚本家、その他もろもろ
いろいろなエンターテインメントを作り活動しています。
ここ最近は人間力について調べたりすることが多いです。
僕自身、人との関わりが多くなる中、失敗もあったりと学べる機会も増えているのですが、
やはり”道徳”という部分が生きていく上で欠かせないものであることを再確認しております。
道徳を失うと途端に説得力がなくなるという話
社会生活を営む上で、ひとりひとりが守るべき行為の規準(の総体)。
自分の良心によって、善を行い悪を行わないこと。
道徳という言葉の意味を検索すると、このように出てきます。学校でも道徳の授業がありましたよね。まだ土曜日が休日となっていない頃のことです。
正直なところ、どのような内容を教わっていたのかはよく覚えていませんが、大人になるにつれて、その知識がいかに必要なものであるかを痛感しております。
例えば人に何かを指摘するとき、そこに本当の善意が込められているとは限りません。ただ優越感に浸りたいがために指摘をしたいだけだったりとか、イライラしているから怒りをぶつけるために指摘というツールを利用しているケース。そして、純粋の対象の相手が好きではないという、気分だけで攻撃をしている人など……
そういったメンタルで他人に説教をしている人は、総合的に見てもすぐにわかります。
いじりがいじめになるように、そこに愛が存在しない限り、相手とのコミュニケーションが成立しないからです。「いじってるだけやん」や「よくなってほしいから」というそれらしい理由を並べたとしても、肝心の受け手である本人が、いじり、または愛あるアドバイスだと受け取れなければ何の意味もない。(受け手が卑屈すぎるという場合は話が変わってまいりますが)
みんなどこかで、道徳感を消失してしまっている。そんな風に思えてなりません。
これを言ったら不愉快になるだろうなぁ〜とか、これをすることで相手を傷つけるだろうな〜といったことを、相手のために想定しながら会話をできている人はどれくらいいるのでしょうか?
実際に僕自身も、それで人を傷つけてしまったり傷つけられたりしたこともあります。これらと上手く付き合っていくためには、やはり道徳を重んじなければならない。しかしこう言ったことを発信すると「硬っ苦しい発言で面白味がない」と一蹴されるのが日本の悪いところです。
歩んでいく道道で、徳を積んでゆく。
正しい由来は調べていませんが、きっとこういう意味なのではないでしょうか?人として正しい行いをしていれば、どんな善意にも愛が宿り、優しく接することができるはずです。だけど、みんなどこか心にゆとりが持てていないせいか、それがパワハラであったりモラハラという形で出てきてしまう。
いつの日か、世界中が愛で溢れる世の中になることを祈りながら、そしてそうした星にできる存在になるべく、今後も魂レベルで勉学に励んでいこうと思った次第です。
それでは今日はこの辺で。