広告 筆者の思想

体・社会・宇宙……すべては均衡を保つことで維持される

痛みを感じるからこそ、喜びを感じる。逆もまた然りで、喜びがあるから痛みを知れる。どちらも平等に生きている実感を与えてくれるものだ。宇宙は資源を与えてくれると共に、人類一人ひとりに内なる小宇宙が存在することを教えてくれている。人間の体と社会の仕組みに共通点があるように、人間の脳と宇宙もリンクしているのだ。体・社会・宇宙……どれも均衡を保つことで維持される世界である。

目の前の現実は、自分の力で簡単に変えることができる。自分の中の宇宙を操れるのは自分しかいないからだ。

何もない黒い空間で起こった大爆発。欠片たちが集まって今日の地球が誕生した。僕らが食べているもの。着ているもの。すべては宇宙がなければ作ることができない。太陽の力がなければ稲作ができないように、地球だけで成立していることなど何一つないのだ。感謝の規模を広げれば広げるほど、人間の抱える欲求がどうしようもなく小さく思える。それをわかっていながらも、何故人は欲に振り回されて生きているのだろうか。

かっこよくなりたい。お金持ちになりたい。美味しいものをたくさん食べたい。欲しいものは全部手に入れたい。

幸せを噛み締めながら今を精一杯生きている人もいれば、満たされない日々を送っている人もいる。一度きりの人生だ。生きているうちに夢を実現させたいと思うのは人として当たり前のこと。誰にでも幸せになる権利があるからだ。人は無意識のうちに幸せになりたいと主張し続けている。

空想アニメソングで漫画やアニメを誕生させたい。
作家として書籍を発売し、大勢の読者に読んでもらいたい。
映画を作って公開したい。
Youtubeチャンネル登録者数1万人を達成したい。

僕にも成し遂げたい夢はたくさんある。上述したような願いを達成したところで宇宙に何ら影響は与えないかもしれないが、人らしい夢はそれなりに持っているのだ。宇宙の規模に比べれば浅はかな夢だろう。そう理解しているにも関わらず、理想に至らず一丁前に情けなくなることだってある。「俺も人間なのか」と悔いる度に実感し、やり場のない憤りに悩まされている日々。なんとも、面倒臭い性分だ。

答えのない問答に明け暮れている間も、お構いなしに時間は過ぎ去っていく。どうしても生きているのだから仕方がないことだ。辛かろうが悲しかろうが、生きている以上。生きたいと願っている以上。生きていくしかない。しかし、生きているからには、ただで死ぬわけにはいかない。生きているからには、生きた証を残したい。などと思いながら、いかに自分がちっぽけな存在なのか思い知る。

真の意味で宇宙を理解できた時。現実を改変し得る力を獲得することができるのかもしれない。ただ、あくまでも個人の世界でのみ許されるものだ。何故なら、僕らは神ではないし、神になることは許されないからだ。神であっても、人の歴史に関与することなどほとんどない。長い歴史の中で繰り広げられた争いも、人間が都合よく神の名を使って起こしていただけに過ぎない。人は神を利用し、神は人を見ているだけだ。

他者の世界に介入する行為は、アドラー心理学においても注意されている。相手の課題は相手が自ら解決しなければならないものなのだ。例え子供であろうと親であろうと、その者の背負った課題を共に負う必要はない。おせっかいはエゴによってもたらされるものだ。なんとかしてやりたいと思うのも、「助けてやらないと自分が嫌な人間になる。嫌な人間に見られる」という恐れと罪悪感からくるものだろう。性根は常に自分が優先されているもの。もちろん、慈悲の精神は悪いことではない。人として普通に持っている性質だ。もしも本当に相手のためを思うのならば、静かに見守ってあげるのが愛というものだろう。

宇宙は僕らの課題を負うことは決してしないだろう。余計なことはせず、ただそこにいて、役割を果たすのみだ。宇宙は自身の承認欲求を満たすために存在しない。人間も、そうあるべきだと教えてくれている。宇宙の在り方こそ、人が指針とするべき調和の法則なのだ。

人類は宇宙の法則に則って生きている。宇宙によって生み出され、宇宙によって得た資源で生きているからだ。宇宙の血が流れている限り、和を乱すこと……つまり、均衡を破壊する愚行は許されない。血に反した思想は観測者によって修正を加えられる。僕に正体はわからないが、執行者は人智を超越した存在だ。だからこそ、と呼ばれるのだ。

天秤が傾けば、必ず争いや汚染が広がる。重しは人間のエゴに他ならない。エゴに支配されている以上。人に眠っている95%の力を解放することはできないだろう。僕らが次のステップへ進むことを許される時は、僕らが人間を辞める時なのかもしれない。

テクノロジーの力によってメタバースに身を投じることが進化なのか。それとも本来持っている脳を目覚めさせることが進化なのか。僕は後者が真の上昇だと思っている。人間は、周囲にあるモノで満足できる生活に原点回帰するべきなのだ。と熱弁しているが、パソコンを使っている時点で今の言葉がブーメランとなって自分に返って来るだろう。まったく面倒臭い世の中だ。

宇宙の神秘に触れることは視野を広げることであり、現実逃避にはならない。あらゆる本質を見抜く力を得るためだ。洗脳社会を生き残るために必要なのは現状を俯瞰する能力。それが宇宙の在り方をベースにした生き方だ。人間の体を知れば社会を知ることができる。社会を知ることで宇宙も知ることができる。仕組みは似ており、また真理だ。だからこそ生き方を模索する上で宇宙を感じることが大切なのだ。

ロジックの領域だけが世界ではない。この世には確実に、知覚できない出来事が星の数ほどある。今一度、自身の感覚を研ぎ澄ませて生きてみようじゃないか。

人よ、宇宙と共にあれ。

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