僕はゲームで遊ばなくない大人になってしまった。正確には意図して遊ばなくなったのではなく、遊べない人間になってしまったわけだが、ひとえに仕事ややらなければならないことが気になってしまい、遊ぶことに集中できなくなったことが要因と思われる。中でもスマホでプレイできるアプリゲームは長くプレイした試しは一度もなく、やろうと思ってインストールしても、開始5分ですぐに削除するという行為を何度も何度も繰り返していた。だが、スマホゲームをやらなくなったことについては一つの理由があるので、本日はそんな僕の昔話と、今現在感じている気持ちを執筆しようと思う。
これでも、昔は何人かの友人とよく遊びに出かけるような人間だったのだが、ある時を境に、僕は友人たちの行動に疑問を抱くようになった。その疑問が脳裏に浮かび始めたのは、冒頭でも記述したスマホゲームが登場した頃である。
実際に会って遊んでいるのだから、目と目を見ながら会話をして楽しむのは当たり前のことだ。だが、ゲームに限らずSNSが誕生してからというもの、その場で(しかも約束してまで)同じ時間を共有しているのにも関わらず、皆、スマホに目を向けてひたすら指を動かしている始末。こちらから話を投げると応えてはくれるものの、果たして本当に話の内容を理解できているのかも定かではない。
僕がいちばん不愉快な気持ちになったのは、4、5人ほどで集まったというのに、当時人気を博していたとあるアプリゲームを僕以外の全員がひたすらプレイしていた時だ。ちょっと立ち止まりさえすれば、すかさずスマホを取り出してゲームをプレイするその人たちの光景は、当時の二十歳そこらの僕から見ても異様なものだった。せっかく会っているのだから、普通に対面で楽しめないものなのか?というかそもそも、プレイしなければ寿命を削られる呪いでもかけられているのか?と心配になったほどだった。正直なところ、実際に会っている僕よりもゲームを優先していることがまず持って納得いかないし、そんなにゲームをやりたいのなら初めから約束なんてしないでほしかったと心底思っている。
ゲームという媒体自体を否定する気はないし、僕も小中高はゲームに夢中になっていた経験があるため、遊び心を養うという意味では素晴らしいツールだと思う。しかしそれは、ゲームと現実世界のバランスを保ってこその恩恵だ。昨今は放置していても進行できるゲームもたくさん出ているが、話してたり集まっていたりする状態で、相手のスマホがゲーム画面になっていたらかなり萎えてしまう。やはり対人関係となると「ゲームはゲーム」「交流は交流」と、モノタスクにならなければ、自分はまともに相手をされていないんだと誤解をされかねないだろう。注意散漫で集中力が持続しない人間が増えているのも、ゲームとリアルのバランスを取れていないために生じている問題で、ある意味、これは社会問題だ。
誰だって、相手にされていないと感じたら悲しい気持ちになる。僕も、当時は悲しい気持ちになり、アプリゲームの存在に嫌悪感を抱いていた。今は付き合う人間を慎重に選ぶようになったのでそこまで気苦労はしていないが、ゲームが仕事になる仮想現実がより身近になってきた今。血の通った交流はどういう結末を辿るのか些か不安になってくる今日この頃である。
明日は我が身と思って、僕も気をつけよう。
それでは、また。
3月24日「MAGUMAマンスリーコンサート Vol.3」
場所:yomihana~宿花~
神戸市中央区加納町4-7-26藤嶋ビルB1
時間:開場 17:30 開演 18:00
料金:3500円(1ドリンク代込み)
限定20名様まで。
※コンサート後も宿花でご飲食可能です。
※食べ物のみ持ち込みOK。
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