筆者の思想

ゲームと人生の成功哲学は比例する

僕らの生きているこの世界は、実はすでに仮想現実なのではないか?オカルト界でもっぱら議論の種となっているトンデモ論的な話だ。しかし、あながち否定しきれない部分もあり、宇宙や世界の仕組みがあまりに人間にとって都合よくできていることから、こういった仮想現実論を完全に淘汰することは不可能である。僕自身も信じきっているわけではないが、それでも、「もしかしたら?」という非常にグレーな区域で関心を示していることは事実だ。

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さて、今朝の散歩の途中。僕は澄み切った青空を見上げながら、ふと仮想現実と運の関連性について考えを巡らせた。以前の記事で、運を味方につけるためには波打つような行動をして生きていかねばならないと書いた。求めている次元に波長を合わせるためには、自身の波を上下に大きく振動させ、高次元と衝突させなければならないからだ。要するに、動かなければどこにも当たらないし、何ひとつ変化は起こせないということ。僕はこの考えが、仮想現実論とリンクするところがあると思ったわけだ。

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まず、仮想現実について簡単に話すと、僕らは自分の見ている光景しか把握できておらず、今いる場所から外側で起きていることは感知できない。もっと極端に言えば、背後の情報は習得できていないため、後ろの見えていない場所は存在していない可能性だって十分にあるという話だ。これはゲームにおいても同じである。ゲームは、プレイヤーが操作するキャラクターが特定のポイントに到達しなければイベントは発生しない。昨今はオープンワールドなるゲームシステムが流行しているが、どこにでも行けてどこにでも登れるオープンワールドにおいても、プレイヤーがそのエリアに行くことで、初めてNPCなどが動き出すようプログラムされている。つまり、僕らがそこに存在していない間は、NPCはすべて停止している状態にあるのだ。

そこで、運の話に戻る。人の人生は運に左右されているし、こればかりは努力だけではどうしようもないものだと思いがちだが、実際はそうではない。ゲームと同じように、運も干渉されなければ、動くことができないものだと思っている。運を動かすと書いて運動と読めるように、実際に行動した者にこそ初めて運が味方となり成功への道を提示してくれるのだ。まさに、ゲームの世界と一緒ではないか。ゲームも先へ進まなければ変化は訪れない。NPCも何もかも、すべて停止したままだ。現実世界でも同じで、夢や理想を追求し実現させるためには、やはり動き出さなければならない。動くことで波は上下に揺れ、求めていた次元へのアクセスが可能となるのだ。

運とゲームの共通点を探れば探るほど、やはり、僕はこの世界が仮想世界で、人間は高次元の存在が作り出したAIなのではないかという疑念が拭えなくなる。考えたところでどうしようもないのだが、ある種の浪漫的な要素も働いているため、未知の世界に思考を巡らせるのも悪くない。

とはいえ、ゲームのように一度死んでしまってもリセットすることはできないし、与えられた唯一無二の人生をどう生かせば幸福へと辿り着けるのかは、慎重に吟味して取り組んでいく必要があるだろう。普遍的なことをもっともらしく書いているが、意外と運と自分について向き合う機会は少ない。運という言葉一つで成功哲学を語ってしまうと、死に物狂いで努力をして成功を獲得した人たちにとっては後味が悪い。なぜなら、努力を否定された気分になるからだ。しかし、だからと言って運の存在を見なかったことにすることはできない。少なからず…いや、人間の成果は大きく運に握られているのだ。現実を疑う力も、過酷な社会で生き抜いていくための大切な能力だと僕は思う。

とにかく、動かなければならない。変化を起こしたいのであれば、変化のある次元に大きく振りかぶる勇気を持とう。その時初めて、思考は現実化し、今世においての幸せな夢を手に入れることができるのだから。

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