やりたいことの中でもやりたくない仕事は必ず出てくる。だが、やりたくない仕事をしていて、追い討ちをかけるように「やりたくない仕事」が重なってくることほど残酷なものはない。前者は「理想に近づくための試練」としてポジティブに受け取れるが、残念ながら後者に至っては”流し”にしかならず、成長へ繋げることは難しい。何が言いたいのかというと、どうせ苦労をするのであれば、やりたい仕事の延長線上で苦労しようということだ。
不本意ながらも、生きていくためにとりあえずどこでもいいから働くという選択する人は今の時代でも多いように思える。昔ほど狭き門ではないのかもしれないが、大人や教育機関が未来の選択肢を少なくしている傾向は随所にあった。若い視野では、大人に道を示されるとそれが正しいと思い込んでしまう。本当は常に疑うこと、自分で決めることも学ばなければならないはずなのに、僕らは上層部に頭を下げ従う訓練しか受けてこなかった。そのため、社会に駆り出されて大人になってから、必死になって知識を取り戻そうとしているのである。
しかし、なってしまったものは仕方がない。育った環境のせいにしているのではなく、事実や現実を受け入れた次のステップとして、僕らは自身の未来を選択していけるようになったことを知らなければならないだろう。
やりたくない仕事の中でも、掲げている理想に近づくためのエッセンスはどこの現場にも転がっているもの。わかってはいても、やはりそう簡単に発想を切り替えることは難しい。なぜなら、嫌なものは嫌だからだ。だったら、初めからやりたいことに繋がる仕事に就くほか道はない。やりたくない仕事でわざわざやりたくないことを増やすより、やりたい仕事で困難を乗り越えた方がインプットの質も高まるというもの。
今一度、僕らはどういった試練を受けたいのか見える化し、精査して生きていく必要があると思った今日この頃。
それでは、また。
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