筆者の評論

映画「クリスマスと呼ばれた男の子」鑑賞・レビュー

監督:ギル・ケナン 主演:ヘンリー・ローフルの映画「クリスマスと呼ばれた男の子」を鑑賞したのでレビューしていく。

※僕のレビューはネタバレを含む場合があります。興味のある方のみご一読ください。

ニコラスは、妖精のエルフたちが暮らすといわれる伝説のエルフヘルム村を見つけるために旅立った父親を捜し出し、人々に希望をもたらす贈り物を見つけて持ち帰るため、北の地を目指す。トナカイのブリッツェンとペットのネズミと共に雪深い土地を旅するうちに、ニコラスはついにエルフたちが暮らす人里離れた土地にたどり着く(シネマトゥデイより引用)。

映画「クリスマスと呼ばれた男の子」あらすじ

物語には小細工は一切なく、”大人になるにつれて忘れてしまう大切なものを思い出せる”純粋に楽しめるスッキリとした作品。児童書から映画化となったクリスマスファンタジーだったらしく、そのスッキリ具合にも納得の一言。サンタ・クロースの起源を描いた王道映画だった。

主人公は貧しい家庭で生まれ育った少年「ニコラス(後のサンタ・クロース)」。伝説のエルフが住む村「エルフヘルム」に行ったことがある母を亡くし、父と共に閉鎖された世界の中で暮らしていた。夢を見る少年と、夢を諦めた父親の対比が表情と動作で上手く差別化できていたように思う。

ニコラスは父より受け継いだ帽子(サンタの帽子)の中に、母が記したエルフヘルムへの地図を見つけ出し、急ぎ父の後を追って冒険の旅へと出発する。その間、お馴染みのトナカイとの出会いや魔法の力。妖精やトロールとの出会いを果たしていくことになる。

父は「人々の希望を再起させるようなもの持って帰ってこい」という国王の命により、狩人と共にエルフヘルムへと旅立っていってしまうが、あくまでも動機は夢ではなくお金のためで、亡き妻と約束した「豊かな生活」を手に入れるためだった。夢を裏切ることがどういう末路を生み出すのかは、父の結末で抽象的に描かれていたのではないかと思った。王道ファンタジーと言いつつも、なかなか辛い演出をぶち込んできたなというのが印象だ。

純粋に夢を信じ続けていることで受けられる恩恵はこんなにあるんだよ」と、ニコラスを軸に観客に訴え続ける一方で、大人になってから夢を信じることは手遅れになる可能性が高いことを、エゴでしか動かない大人を登場人物として出すことによって密かに伝えていると感じた。

最終的には国王と共に子供達にプレゼントを配るというハッピーエンドを迎えるが、夢を信じきれなかった父や嫌味な叔母の姿は「観客のあなたたちのことだよ」とどこかで言われているような、夢とロマンに紛れ込ませた”現実”をさりげなく突き付けてくる作品だった。また、クライマックスで善悪関係なくすべてに許しと幸福を与えるニコラスの行動は、救い主と呼ばれたイエス・キリストとの関連性を持たせるための演出だったのかもしれない。

本作で描かれている世界は、まさに僕らが手に入れたい理想郷だろう。誰もが裏切りあい憎み合う社会でも、許し合い理解し合うことで平穏な日々と幸福は手に入れることができる。人間とエルフという極端な人種の壁を通して、僕ら人間にも境界線はなくひとつになれるのだというメッセージが込められていると思った。

エルフヘルムは、本当に信じている人間にしか見えない村。ニコラスが魔法を使えるようになったのも、信じる心が最高潮に達した瞬間だった。

僕らが求めている幸福は、同じくして見ようとしなければ見えず手に入らない代物だ。映画「クリスマスと呼ばれた男の子」には、単純ながらも盲点となっている人間の心を刺激する大切な魂が入っているのかもしれない。ぜひ、その魂を観て獲得していただければと思う。


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