歩き続けてさえいれば、降り頻る雨も必ず止む日は訪れるし、日が上り、永い夜にも終わりが来る。下降気味の経済だって元に戻るし、落ち込んだ気持ちだっていつかは笑い話にできるもの。この世界には大きな周期によって成り立っていて、僕らはその円環の中で生きているのだ。
終わりの始まり。始まりの終わり。どちらにしたって、一つの事象が終わればまた新しい始まりが訪れ、そしてまた終わりが訪れる。
運がない。転落続きの人生。悔やみきれない言動。それぞれ抱えている問題はたくさんあるだろう。しかし、いつか花咲く日を夢みて奔走するすべての命には、成功・幸福への揺らぎが平等に与えられている。続けてさえいれば、その揺らぎと干渉することができたかもしれないのに、多くの人は途中で諦めてしまう。待っていれば雨は止むというのに、焦って土砂降りの中飛び込んで疲弊していく。濡れるのが嫌であれば、傘をさせばいい。物事には常に”やり方”が存在し、その方法は誰もが応用することができる優れた可能性が秘められているのだ。
チャンスは見ようとしなければ見えない。心の中ではそれがチャンスだとわかっているのに、気が付かないふりをしているケースだってある。そういった選択は、自分が不幸になる道を自ら選んでいるようなもの。幸せになりたいはずなのに、その気持ちに嘘をついて、わざわざ暗闇の中を延々と歩き続けている。良くも悪くもこの世界、いや、宇宙は僕らの気持ちにYESで応えてくる。僕らの願ったことは、必ず現実化に向けて動き出していくのだ。逆もまた然りで、不幸な思考を深めてしまえば、それに対してもYESと応えられ、波動は不幸に向かって段取りを組み始める。
選ぶ権利ややり直す権利は誰にだってある。だが、残念ながら僕ら人間には寿命というタイムリミットが存在している。自由気ままに幸せに生きることも大切な理念だが、あまり悠長なことを言っていると、やりたいことの半分も成し遂げられないままだ。それもまた良しとするか否かは、個人の裁量にかかっているが、せっかく生きているのだから、もったいない行動はできれば避けていきたいものだ。
努力が実を結ぶとは限らないが、続けていれば確率は間違いなく上がる。数センチ先にある金脈も、掘り続けた者にしか手に入れることはできない。大きな波は必ず僕らのもとへやってくる。人生に刺激を求めるのであれば、大波にのってしまった方がいい。
とにかく、一歩でもいいから歩き続けよう。そう思った年の瀬のひととき。
それでは、また。
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