筆者の思想

ラットレースは終わらない

同じ場所をぐるぐる回っている感覚に陥ったことはあるだろうか?

この世はピラミッド型で何層にも分かれており、誰もが上へ上へと目指し、人生を賭けて勝負を挑み続けていく。競争社会にはほとほと愛想が尽きているが、残念ながら僕の生きようとしている業界に競争はつきものなので、割り切って創作していく他ない。

しかし、精神的にも体力的にも一定の層を走り続けるのは非常に危険且つ愚かだ。

頑張る人や戦う人を否定しているわけではない問題は挑戦する層を間違えている人が思いの外多いところにあると思っている。もっと悪いところは、それに気がついていない人が多いことだ。

タイトルのラットレースとは、どれほど働いても資産がまったく貯まらない状態のことを言う。回し車を走り続けるハムスターが由来となった言葉だ。

個人的な見解だが、現状にある程度満足してしまっている(もしくは生活がさほど困窮していない)人ほど、同じ層を延々とぐるぐる回り続ける傾向にある。これは自転車操業に多く見られる傾向だ。しかし、インターネットドリームを求めるより自転車操業で人脈と信頼を築き上げていく方が効率が良いのは確か。ネットが盛んな時代だからこそ、彼ら彼女らの古き良き経営方針に間違いはないと思っている。では何が課題なのか?それは、人間の肉体には必ず限界が来るということだ。

死ぬまで働き続けたいのであれば、死ぬまで働き続けられる環境を抑えておかなければ後から大変なことになる

意識は常に今に在る。僕はこの思想にとても感銘を受けているが、あくまでも意識での話であって肉体的なことになると話は別だ。やはり”後の事を考える”というのは避けては通れない道だと思っている。創作者にとって作品は資産だが、資産と呼べるべき代物に昇華する確率は極めて低い(もしくは手腕が問われる)。好きなことを仕事にし続けるための体力作りとして、別のエネルギー充填装置を確保する必要があるのだ。

物事を継続するという意味ではラットレースに終わりはない。ただ、どの層でラットレースをするかで大きな差が出てくるだろう。それは体力的にも精神的にも、だ。どうせレースを続けるのなら、どちらのゲージも減退するスピードを極力落とすことが勝利をおさめる(生き残る)秘訣となる。一生山を越えて水を汲みにいくのか。それとも時間をかけて水道を築き、自動で水を供給できるようにするのか。年齢とともに山を越えることは困難になるのなら、僕はやはり後者の選択肢を選ぶ。

だが、体力作りは依然として続けなければならない。最後に残るのは我が身。器は極限まで磨き続けなければすぐに錆びついてしまう。心も体も軽快なリズムに乗せて動けるよう、レースをする環境は見定めていかないと、一生納得のいかない結果しか生み出せないだろう。

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