筆者の思想

台風に”心の在り方”を学ぶ

今朝、どうしても外出しなければならない用事があったため、強風の真っ只中を雨ガッパで切り抜けた。

台風7号に限らず、自然の猛威に直面すると人間の力など取るに足らないものだと痛感する。彼らに”いらない存在”とジャッジされたらひとたまりも無いだろうなと、つくづく思った。

僕は、台風は心の状態とリンクしていると思っている。

現代では特に競争社会となっていることもあって、心を平穏な状態に保つのは難しいものがある。仕事面や金銭面でうまくいっていようがなかろうが、人それぞれ課題解決に向けて常に頭を悩ませているからだ。いわば、人間の思考状態は台風に近い。僕らの心の表面はいつも荒れ狂っており、それが差別や八つ当たり、批判となって周囲に牙を剥いていく。

しかし僕らの心には、もう一つ台風と同じ部分が存在する。それは、目と言われている中心だ。

どんなに凄まじい台風であっても、目に入ってしまえば静寂に包まれている。台風における中心は、僕らの心の中にも存在する”意識”と同じではないか。意識は常に冷静で、目に入った動植物を観察し判断する。そこに怒りや悲しみ喜びがついてくるのは後からで、初めはいつも”ただ観測している”だけなのだ。

疲弊しているからこそ、うまくいかないからこそ、中心に戻って平常心を取り戻す必要がある。中心は決してなくならず、ずっと僕らの心の中に在り続けているもの。ただ、目まぐるしい時代の変化によって忘れ去られているだけなのだ。昨今、瞑想マインドフルネスがブームになっているのは、意識を維持してくれている中心を見つけ出すため、必然的に人間が求めているからだろう。

そう考えれば、地球という星は生命そのものだと再確認できる。ただ、体の大きさが桁外れに大きいだけで、循環は人間のそれとなんら変わりはない。不純物が増えれば排出するし、体内を整えようと機能する。地球は地球なりに、中心を維持しようしているのだからおかしいことではない。違うのは規模だけだ。

心の中に台風が訪れたら、やることは一つしかない。抗わず、ただ過ぎ去るのを待つだけだ。

悲しい気持ちの時に元気な曲を聞いてはいけないように、僕らは心の変化に寄り添って生きなければならない。精神状態に鞭を打つからこそ、ストレスとなって鬱病へと発展する。まずはありのままを受け入れて、木々を薙ぎ倒すほどの強風がどこかへ行ってくれるのを待てばいい。時代の早さは僕らを待ってはくれないだろうが、僕らは時代のために生きているのではなく、幸せになるために生きていることを思い出すのが大事だと思っている。

中心に立ち返り自分を満たすことによって、ようやく人のために尽力することができる。一番上にグラスに注がなければ、下のグラスに水が行き渡らないシャンパンタワーと同じ原理だ。

順風満帆な生き方は、意外と自然の中に答えが隠されているのかもしれない。真に中心をみることが、悟りを開くということなのだろうか。

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