「この世はすでに仮想現実である」などと断言するわけではないが、今生きている瞬間が現実だと信じきれない自分がいる。出回っている情報が例え義務教育や社会の常識であったとしても、オカルトと等しく信憑性に欠けているからだ。
同じような記事は以前にも書いたが、映画「マトリックス」のように、僕らはバーチャルの世界で生きているのではないかという仮説だ。
二重スリッド実験では「量子は監視を受けた時点で初めて形を確定する」ことがわかっている(なお、真実かどうかは不明)。つまり、僕らがその場所へ行き干渉することで初めて世界が動き出すという仮説だ。この仮説はゲームと非常によく似ている。何故なら、ゲームにおいてもプレイヤーが操作するキャラクターが特定のポイントに接触して初めてエンジンが動き出すからだ。ゲーム内の広大なフィールドは常に稼働しているわけではない。プレイヤーがいない場所は、人も車も干渉するまで動かないように設定されている。
同じように、僕らは自分の死角にある世界を感知することができない。しかしこの仮説は僕自身が主人公の仮想世界でなければ成立しない。そこで考え至った結論は「人類は誰かが作ったAIである」可能性だ。
今、人類全体が取り組んでいるメタバースが発達すれば、いずれは仮想世界内で生活することが可能になるだろう。その頃にはAIの開発も進展しているか、あるいはシンギュラリティを迎えているかもしれない。そうなれば、メタバース内で人間とAIが共に生きる時代が訪れる。僕ら人間は仮想世界と現実世界の区別ができるが、AIはメタバースが自分の世界であり故郷だと認識する。つまり、AIにとって運営側が「神」になるのだ。
あくまでも素人ながらの憶測に過ぎないが、もしも僕の提唱した仮説が現実で起こっていたとしらどうだろう? 人間そのものが誰かの開発したAI的なポジションだとすれば、常にこの世界が稼働し続けているのにも納得がいく。
何が言いたいのかというと、僕らが今生きている現実そのものが、「運営によって作られた仮想現実」かもしれないのだ。ここまでは以前の記事でも話した内容だが、今回はもう少しだけ考えを掘り下げていきたいと思う。
僕は、メタバースは宇宙を作ることと同義だと思っている。
もう一つの世界を生み出すには空間が必要だ。メタバースと呼ばれる世界に人が入れば入るほど、サーバーは拡張し続けなければならない。この現象は膨張を続けている宇宙とよく似ている。今は仮想現実内で土地を売買することだけにとどまっているが、やがて宇宙規模に進化し、富裕層が星を所有する時代がやって来ると思えてならない。
スターウォーズのような話だが、あの映画もあながち嘘ではない可能性がある。むしろ、実は現実をそのままエンターテインメントに落とし込んだだけなのかもしれない。
星を所有できるということは、人が宇宙を創る日が訪れるということだ。
星には所有者の名前がつけられるだろう。まさに宇宙規模の不動産が誕生するわけだ。星の中にも土地が存在し、変わらず取引が行われる。星は言わばサーバー的な役割を担うのかもしれない。ネットゲームでも、サーバーにアクセスできる人数に限りがあるため、いくつか別のサーバーが用意されている。スペックは桁違いだろうが、星であっても有限だ。
今は各会社がメタバースを利用して独自の世界を構築し競争を続けているが、いずれはすべてがリンクできるようになるかもしれない。新たな宇宙が創造され、すべてのメタバースが星となって一つの宇宙に参入するのだ。
各星々はクラウド上で管理される。宇宙の中で生活する住民や場所の記録は、すべてクラウドへと送信されて運営のフィードバックに使われるだろう。オカルトでもよく取り沙汰される宇宙の図書館「アカシックレコード」は、僕らの世界の情報を収集するクラウドのようなものだと思っている。
アカシックレコード
アカシックレコード(英: akashic records)は、元始からのすべての事象、想念、感情が記録されているという世界記憶の概念で[1][2]、アーカーシャあるいはアストラル光[注釈 1]に過去のあらゆる出来事の痕跡が永久に刻まれているという考えに基づいている[6]。宇宙誕生以来のすべての存在について、あらゆる情報がたくわえられているという記録層[7]を意味することが多い。アカシャ年代記(独: Akasha-Chronik、英: akashic chronicles、アーカシャ記録、アカシアの記録[8])とも。近代神智学[注釈 2]の概念であり、その他の現代オカルティズムの分野(魔術等)でも神智学用語として引き合いに出されることがある。また、陰に陽に神智学運動の影響を受けている欧米のニューエイジや、日本の精神世界・スピリチュアル、占い、予言といったジャンルでも使われる用語でもある。アカシックレコードが存在する科学的根拠はない[9]。(Wikipediaより抜粋)
仮想現実を作り、土地を作り、星を作り、やがて宇宙を創造する。となると、人類はいよいよ神の領域に足を踏み入れることになる。メタバースの世界しか知らないAIたちは、運営する人類の関与を「奇跡」だと思い、やがては神話として語り継いていくだろう。世界に蔓延る神話が似通っているのは、運営に共通した干渉パターンがあるからかもしれない。
僕らの住む世界にも、稀に超人的な能力を持った人間が現れる。やけに達観した視点を持っている存在はゲームマスターである可能性が高い。ゲームマスターとは、ゲーム内に入り込んでトラブルやバグを修正する運営側の公式プレイヤーのことだ。マスターは基本的になんでもできるため、偶然出会い目撃した者にとっては神のように感じるか、宇宙人と呼ばれることもあるだろう。
考えれば考えるほど恐ろしくなってくるが、答えのない探求は浪漫とも言える。だが、僕の予想はあながち間違っていないかもしれない。人間はどこまで行ってもエゴイスティックなのだ。野望があろうがなかろうが、一度のめりこんでしまうと引き返すことは困難なのだ。心理学で言えば「一貫性の原理」だ。労を伴うほど、「ここまで来たんだから」と追求した世界から抜けにくくなるものなのだ。
メタバースの進化は、肉体という呪縛からの解放という栄光の未来だ。一方では終末へのカウントダウンとも推測できる。高度なテクノロジーは、神話においでも必ず崩壊しているからだ。
大半の人間は「足るを知る」を理解できない。
大いなる成功こそが幸福だと捉えている人は、ほんの小さな幸福には見向きもしない。実はすぐそこに幸せはいくらでもあるのに、大きな成果を収めない限り不幸だと思い込んでしまっているのだ。
新たな時代を迎えることを反対しない。しかし、僕ら人類は「終わりの大切さ」を知るべきだと個人的に思っている。
物事には必ず節目があるのだ。ダラダラと続けているよりも、潔くピリオドを打った方が格好がいい。世にいる成功者と呼ばれる人たちは、同じ領域にとどまっている人はほとんどいない。一生を遊んで暮らせる財産を手に入れても、結局は新たな事業を初めて働く道を選んでいるからだ。
人生100年時代から、永遠に働き続けることができる世界に向けて科学は邁進し続けている。
星と宇宙の創造が可能となれば、次なる課題は死との直接対決だろう。人は死なない体と脳を手に入れようとしている。その進化は、何のため、誰のためのものなのだろうか。死を迎えることはそんなに悪いことなのだろうか。
増えれば増えるほど、世界はますます混沌となっていく。情報であっても人であっても物であっても同じことだ。メディアが分散したことで共通の話題が消えていくように、今度は共通の文化も減っていくだろう。ドラマチックな予測だが、事実は小説よりも奇なりだ。水面下ではもっと奇妙な事が起こっているかもしれない。
今もこの記事を執筆している僕を見て、運営側はほくそ笑んでいるだろう。もしくは、表情一つ変えず黙々と記録を続けているかもしれない。いや、そもそも運営自体もAI化されている可能性もある。
ただ一つ言える事は、人が宇宙を作ろうが星を作ろうがこの世界が既に仮想現実であろうが、僕は腹も減るし空の青さに感動できるし眠くもなるし幸せだということだ。今に在る事が1番の幸福だと理解すること。これが個人にできる最大限の成功哲学だろう。
神の力を手に入れるなら相応の代償を支払うことは必須だ。僕はそんな対価は持ち合わせていない。素朴に質素に生きる事ができるよう、己という資産を用いて生きていけるよう努力するのみだ。
懸念事項は、神となるための対価が人類全体に要求されることくらいだろう。
たった一人の不良のおかげで学校全体が悪くなる。連帯責任として、人一人の愚行のせいで地球の生命体が尻拭いをしなければならなくなることだけは避けてほしい。と、慎ましやかな願いを添えて、今回の記事の執筆を終えようと思う。
さて、今日も眠りにつくことで「死に」。
明日また、起きることで「生まれてこよう」。
それではみなさん、さようなら。