僕の名前は「山中まぐま(本名)」そのまま下の名前を取り、芸名「MAGUMA」として、歌手・役者を経験。今ではストーリーテラーを生業として活動している。
中学時代、僕は登校拒否をしていた。
「学校に行かない」という選択は、極端に言えば「義務教育を受けない」と国に訴えているようなものだ。しかし、僕は国家規模で心情を体現したかったわけではない。学校に行くことが辛かった。ただ、それだけの理由だった。
時間は、落ち込んだ気持ちを察して待っていてはくれない。残酷な現実をわかってはいながらも、必死に足掻こうとしていた小さくてひ弱な少年。それが僕だった。人とは何か。学びとは何か。当時の自分に哲学的な脳みそなどカケラもない。ないどころか、考える余裕もなかった。
人間関係と勉学。すべてと折り合いがつけられなくなった僕は、「登校拒否」を行使した。今となっては、人として当然の権利を使っただけのことだが、世間はそう甘くはない。周囲からは、「人として当たり前のことをしろ」と、口にはせずとも伝わってくる。皆、人間は平等に同じ心の持ち主だと勘違いしているようだった。
僕は普通の人とは違う。
感じ方も話し方も、覚えの悪さもだらしなさも、不衛生さも何もかも僕は人と違った。まるで別の星で育った住人が地球へ引っ越してきたかのような感覚だ。僕の星では普通だったことが、地球のしきたりとは相容れないのだ。馬鹿な妄言かもしれないが、そう思い込んだ方が楽な時もあった。
テストの点数を見て、明らかな失望感で僕を呼ぶ先生。周囲で囁き合う「気持ち悪い」の声。僕をターゲットにした些細ないじめ行為。後から入学する妹が、気持ち悪い兄のせいで同じようにいじめられないかと心配もした。
僕が悪いのだろうか。僕はいてはいけないのだろうか。
いじめられる側にも問題があるとよく議論されている。答えはごもっともであり、否だ。確かに己の世界は己の言動によって作られていく。だからと言って、人は攻撃されることをわざわざ容認しない。現に、僕は攻撃を受けるなんて予想だにしていなかったし、望んでもいなかった。
熱もないのに登校前には必ず食べたものが口から出ていた。どうして僕がこんな目に遭うんだと毎日毎日思っていた。いつの間にか、逃げ場がゲームの世界に変わっていた。呆れるほどネットゲームに没頭していた。しかし、ネットの世界でも上手くいかなかった。「リアルがダメな奴はネットの世界でもダメ」という、あるネトゲを題材にしたアニメの台詞が脳裏に過った。
友達100人できるかな。
あの歌はどんな気持ちで作られたのだろう? 友に関してもいまだによく分かってはいない。
勉強も、いったい何のために学ぶのか理解が追いつかなかった。わからないもののために意欲的になれるはずもなく、次第に皆との知識の差は開いていった。
常識という旗のもと、言われるがままに学校へ通い続けた数年間。思い起こせば、僕が普通じゃなかったのは小学時代からだ。人より言葉の遅かった僕は、学校とは別の教室に通っていた。脈々と受け継がれた陰鬱な性質は、幸か不幸か歪な形へと成長し、更なる孤立を余儀なくされた。
何が必要で、何が不必要なのか。選択を見極めるには多くの時間がかかる。誰もが、あの頃に今のような知識あれば……と考えたことがあるはずだ。時すでに遅しだが、過去を悔やんでしまう気持ちは痛いほどわかる。どんな時でも、今が一番わからないからだ。混沌の海を漂う術を知らない僕は、ひたすら波に呑まれる他、道はない。
「学校に行きたくない」だけでは理由にならないと、両親と何度もぶつかった。話しも下手くそだった僕の言葉など、大人からすれば容易く論破できた。自分の言い分が通らないことは、負けを意味する。物事が勝ち負けで決まると思っていた僕は落ち込み続けた。敗北の二文字がぐるぐると頭の中で回り続け、ただでさえ沈んでいた体は更に深海へと身を投じていった。
曇りガラスを通してでしか見えていなかった世界。当然、来るものが味方だと判断できない。僕はすべてが敵だと思っていた。「学校に行け」「みんなと同じようにしなさい」という言葉のナイフを持った敵が無数に押し寄せてきている。恐れと苛立ちが精神を蝕み、冷静な選択ができなくなっていた。
今でこそ、かつての自分をようやく俯瞰的に見れるようになった。膝を抱えて俯いていた学生時代に心の動きなど見当も付かない。故に、混乱していた。精神世界にゆとりがない時は、眼前に輝く希望に気が付くことさえできない。「一寸先は闇」なのだ
しかし、光はすぐ近くにあった。
ただ、見えなくなっていただけだったのだ。僕の場合、光の正体は家族だった。肯定的に寄り添い、親身になって道を探してくれたただ一つの存在だ。
両親の導きによって、僕の視界は少しずつ広がり始めた。周囲にたくさんの光……師が存在していることを知った。見つけるまでに随分と時間がかかってしまったが、現実は残酷なものばかりではないと肌身に感じることができた。
登校拒否となってからは、両親と相談し、フリースクールに通う。しかし、対人関係によるトラブルは、稚拙ながらもよく起こった。やはり僕は普通とは違うと、相当気に病んでいたものだ。慣れない生活と目的のない日々の繰り返し。退屈な時間。未来が見えない僕に、未来のことで悩む意識すらない。新しい航路は意外なところから現れた。
僕の父は「リピート山中(ヨーデル食べ放題、作詞作曲)」という名でシンガーソングライターをしている。幼き頃から父の姿を見てきた僕は、芸能の道を歩むことに決めた。後々、芸の道も二転三転することになるが、中学時代を境に僕の人生は大きく方向転換した。大海原へ向けて、小さな船で漕ぎ出したのだ。
自分が歌を歌えること、芝居ができることを知った。ダンスも経験した。人前で何度もワンマンライブができるようになった。ラジオのパーソナリティもやった。脚本を書けることも知った。文章で物語を発信できる可能性に気がつけた。今では映画の撮影で監督まで務め、いずれは本も出版したいと思っている。眠っていた内なる価値は、周囲の光が見えなければ気づけなかったモノばかりだった。答えは常に僕の中にあった。僕に見つけてもらえるのを待っていたのだ。
だからと言って、自分の中に宿るネガティブなエネルギーは消えてはいない。
暗い性質は、どこまでも心の中に巣食っていくだろう。人から闇を消し去ることは不可能だ。しかし、共に生きることはできる。持って生まれた以上、上手く付き合っていくしかない。光あるところに闇があるように。晴れ晴れとした海原にも嵐が来るように。世界はバランスで成り立っていることを学んだ。
生き方を強要するつもりで記事を執筆したわけではない。どれほど偉大な著名人の啓発的メッセージであっても、人生を変えるほどの力があるのかと言われれば個人差がある。優秀な経営者も「この世はやるか、やらないか」「夢はあなたを裏切らない。あなたが夢を裏切るんだ」と話す。つまり、その後の展開は受け手の行動に委ねられている。
自分の未来は、自分の選択によって開かれる。
僕は、光の世界を歩みたかった。だからこそ、手を差し伸べてくれていた師の存在に気がつき、芸能界へと踏み出した。この選択のおかげで、中学時代に見ていたモノクロの景色より、もっと鮮やかで素晴らしい光景を観れるようになった。今ではさらに多くの師に助けられ、茨の道を進み続けることができている。
人は一人では生きてはいけない。僕やあなたは、一人ではないのだ。
落ち込んだ時、僕らは光を見ようとしなければならない。人という文字が支え合ってできているように、側には必ずあなたを助けようとしてくれる存在がいる。救い手の力に甘えることは決して悪いことではない。弱い自分に罪などない。まずは希望を認知し、自分を許してあげることが大切だ。何故なら、自分の弱さを受け入れる勇気を持った瞬間に、初めて新しい扉が開かれるから。
恥ずかしい過去であれ輝かしい過去であれ。教訓として未来の選択に役立てられればそれでいい。
登校を拒否すること。学生時代の決断は、確実に今の自分に繋がっている。決して誇れる経験ではないが、様々なキッカケを与えてくれた闇に感謝の言葉を述べたい。「ありがとう。これからもよろしく」と。
最後に、打ち切り漫画の定番台詞となってしまったが、あえてこの言葉を使わせてもらう。
「僕たちの旅は、まだ始まったばかりだ」
小さな船で漕ぎ出してから数年。多少は頑丈な作りになり、オールもそれなりに使えるようになった。しかし、こと大海原においてはまだまだ手を入れなくてはならない。一丁前に説教くさいことを書いているが、次の嵐はもうすぐそこまで迫っている。
なので、僕はもうしばらく漕ぎ続けようと思う。どこの島に流れつくのか分かったものではないが、運が良ければ新世界であなたと出会えるだろう。それまでどうか、希望を見失わず生き続けてほしい。僕もできる限り、死なないように努力する。どうせ終わりが来るのなら、お互いにハッピーエンドを迎えるために、長い航海を続けようじゃないか。
この世には、止まない雨はないのだから。