筆者の思想

矛盾の中にこそ真理が宿る

お金のいらない世界について度々考えに耽っている。

完全にお金という価値基準をなくすことはおそらく不可能。もしくは、何万年も時間がかかる。なので、遠い昔のような物々交換の風習に逆行することもないだろう。しかし、バランスをとってどちらかを選んで生活することはできると思っている。つまり、お金を使うべきところと、使わなくてもよいところを判断する余地だ。

風の時代に突入してから、徐々にお金という概念にとらわれない生活スタイルが確立され始めている。とは言ってもまだまだ数少ないが、着実に時代は変化の一途を辿っているわけだ。腐らず価値を保ち続けるお金という文化は、別の価値と交換するにはうってつけのものだろう。非常によくできた仕組みだと思う。だが、使っているのが人間である以上、エゴに支配された人々によって”お金=悪”というイメージがついてしまっているのが現状だ。

僕は常々、お金から解放される未来について考えているし、スキルの物々交換によってクリエイティブな活動ができる場があってもいいのではないかと前に記事に執筆したこともある。ココナラのようなサイトを作り、お互いのスキルを交換して、お金をかけずにコンテンツを制作するのだ。

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しかし、ここであることに気づく。

当たり前のことだが、Webサイトを運営するにしても人件費やサーバー代……要するに運営するためにもお金がかかる。となると、僕はこのスキル物々交換サイトから収益を得なければ、末長く運営していくことはできない。だが、お金のいらない世界を提供しているのに、運営側はしっかりとお金を得ているという矛盾が生じてしまう。これではプロジェクトの理念にそぐわない。どうにかして双方にお金という収益が残らない形は作れないものか?と僕は悩んだ。一時停止を指示してくる脳の悪循環を必死に振り払って一つの結論に辿り着くが、その結論はあまりに滑稽で、かつ真っ当過ぎて思わずため息が出てしまうものだった。

僕は、お金から解放されるには、お金持ちにならなければならないと悟ったのだ。

時に、矛盾にこそ真理が宿っているもの。僕らがお金から解放されたいと願うのは、つまるところお金によって苦しめられているからである。お金に価値を抱かなくなるためには、お金に困らない状態に持っていくことが鍵となる。そう、大いなる富を築くことだ。自由という概念についても同じことが言える。僕らが自由になりたいと願うのは、現状に満足できていない、もしくは何かしらに束縛され圧迫感を抱いているからだ。自由になるためには、自由になりたいという考えを持たない生活に持っていかなければならない。自由という2文字が気にならなくなるようにする必要があるわけだ。

ある時、空を飛ぶ鳥を見て、パートナーが「鳥は自由でいいね」と言った。僕はそれに対して「いやいや、僕らのような存在がいる以上、鳥は自由ではないよ」と返答したが、すぐに考えを改めることとなった。そもそも、鳥は生きることしか考えていない。人間がいようがいまいが、鳥たちは生活スタイルを変えることはないだろう。人間によって棲家を奪われたり食糧にされたりと弊害はあれるかもしれないが、鳥にはそもそも自由という概念がない。つまり、自由について気にかけていない。よって、はじめにパートナーが言っていたように「鳥は自由だ」という結論に達するのだ。個人的な考えだが、僕はこの仕組みに妙に納得がいった。

お金と自由。以上の二つは現代社会において切り離せないコインの裏と表のような存在である。もしも、僕がお金のいらない世界を社会に提供するならば、僕自身が巨万の富を築く必要がある。なぜなら、僕の懐が豊か(お金なんて気にならないくらい安定した生活)でなければ、大手を振って「さぁ、どうぞ」と差し出すことはできないからだ。貧困な状態でプロジェクトを解放したならば、すぐさま回収するために収益化を検討するだろう。この世にお金という媒体がある以上、富がなければ自由もない。僕ら、もしくは誰かしらが自由とお金が気にならない幸福を手に入れるためには、自らが大金持ちとなるか、他の大金持ちたちが施策を打ってくれることを待つしかないということだ。

一方では独立精神に喝をいれる内容だが、もう一方では他力本願を促しかねない話となるだろう。しかし、残念ながらこれが現状だ。お金お金と言いたくなければ、お金に困らないほどお金を手に入れることが解決策だ。贅沢をするにしても節制をするにしても大金は必要不可欠。はぶりをよくするためには安心を保有し続けなければならない。その安心こそが、お金というツールなのだ。決してお金に使われるような生活をしてはならない。あくまでも、お金を利用する側にならなければ、エゴに溺れて破滅をもたらすだろう。

僕もアーティストとして活動しているが、やはりコンテンツには多くのお金をかけたいものだ。昨今はYoutubeなどの影響もあり、一般の人であっても非常に目が肥えている。予算をかけているものとかけていないものを見分けることなど造作もないだろうから、作り手としてはできるだけ作品はこだわって作りたいと思っている。

耳の痛い話だが、向き合い続けなければ夢も理想も実現しない。お金がある限り、僕らは知らない間にエゴの挑戦状を受けている。であるならば、その挑戦に受けてたち、必ず勝ってやろうではないか。その時に初めて、お金に使われる立場から使う立場に進化を遂げることができるだろう。

さぁ、明日はどっちだ。

それでは、また。

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