筆者の思想

人の死は三度ある?

朝散歩ができる余裕がある日は、いつも決まった場所へと赴く。正確な場所を書いてしまうと、どの辺りに住んでいるか特定されるため割愛させてもらうが、その場所へ行けば、夢を追い続けるための大切な精神をいつも思い返すことができるのだ。

人は二度死ぬと聞いたことがある。一つ目は肉体的な死。二つ目は、忘れられてしまった時に訪れる死だ。だが僕は、人の死は三つあると思っている。それは肉体的な死と忘却による死の前にあるもの。すなわち、精神的な死だ。

僕らの心と体は両輪で、どちらが欠けても生きていくためのエネルギーは正常に働かなくなる。特に精神力が枯渇してしまうと、肉体もたちまち老い始め、生きながらにして死をむかえることになるのだ。僕はこの現象を、二度目の死と解釈している。器はあれど、空っぽな状態となれば、それはもはや死人のようなものだからだ。

情熱を燃やすことができなくなった瞬間、人間の体は魔法が解けたように急激に老いが加速してゆく。不思議と、心情は表面にすぐ現れてゆくものだ。いくら美容やリラクゼーションにお金を注ぎ込もうと、心の老いは補填することは不可能。最新のMacBookであろうとも使わなければスイッチすら入らなくなるのと同じで、僕らの心も常に燃やし続けていなければいずれ機能しなくなる。つまり、感受性は失われ、人間的な要素が薄れてしまうわけだ。そうなると、何に対しても無気力になり、美意識も失われ、やがてゾンビのようにただそこにいて彷徨うだけの存在と成り果ててしまうのだ。

辛いことばかりに目がいき、この世界で生きていくにも愛想が尽きることが多い。でも、同時に幸せなことがたくさんあることも知っている。だから僕は、夢を追うことをやめるつもりはないし、忘れないためにあの場所へ行くことも継続している。ブログを毎日更新しているのも、僕なりの覚悟であって、精神を燃やし続けるための活動の一環なのだ。

生きている限り、生きたい。人として、最後まで生き続けて、自分の信念を貫きたい。この理念を成し遂げてようやく、僕は一度目の死「器を捨てる」ことになり、やがて僕の存在は人々の記憶から失われ、二度目の死を迎えていくのだ。決して、一つ目の「精神の死」を迎えてしまってはならない。器も自分がいたことも、いつかはなくなるものだから割り切れる。しかし、精神の死は未然に防ぐことができるものだ。諦めず、やり遂げていくこと。その不屈の精神を、これからも忘れずに生きていきたい。

あなたはまだ、生きているか?

それでは、また。

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