広告 筆者の思想

常識への疑問が僕をストーリーテラーに転身させた

すぐそこにある価値、幸せに気がついていない人は思いの外多い。僕は自分の綴る物語で「幸せに気がつくため」の手助けをしたいと思った。常識に信頼を置けなくなったことが、ストーリーテラーとして突き動かしたのだ。

僕は人一倍、物事に感化されやすい性質だ。周りの機嫌に左右されることはざらにある。自分の脳みそを使って考えることを知らなかった幼少期。本当にやりたいことなのかどうかもわからないまま、TVや漫画で観た何かしらのエンターテインメントからすぐに影響を受けてしまっていた。キッカケとはそういうものなのかもしれないが。

小学生の頃。僕の夢は漫画家だった。

おもちゃ屋さんになりたい。冒険家になりたい。宇宙飛行士になりたい。子供の特権は、根拠のない理想を弾数無限で射ち続けられることだ。僕もそんな子供の1人だった。大人になった今。もう一度、幼い頃に自分が見ていた夢を掘り下げることにした。

漫画家へ恋焦がれたのは、自分にも人を熱中させるほどの作品が作れるのではないかと希望を抱いたからだ。もちろん、根拠などない。ただ、絵を描きたいだけだった。しかし、思い浮かべている物語を上手く絵に落とし込めなかった。あれも違うこれも違うと繰り返した後、意欲が低下し鉛筆を握れなくなってしまったのだ。

次に目指したのは声優・歌手だった。

父の助言のもと、出会ったのは空想アニメソングシリーズ(旧名、架空のアニソンシンガー)という活動だ。あったら面白いであろうアニメの空想を膨らませ、あらすじを書く。そして浮かべたあらすじに、主題歌、挿入歌、エンディングテーマを作り唄うという試みだ。存在しないアニメの歌を「空想アニメソング」と名付けた。

このブランドで、松本梨香(めざせ!ポケモンマスター)さん。高取ヒデアキ(忍風戦隊ハリケンジャー)さん。NoB(ペガサス幻想『元MAKE-UP』)さん。谷本貴義(ドラゴンボール超)さん。池田彩(ハートキャッチプリキュア)さん。など、本物の特撮・アニソンシンガーと共演し、石原慎一(仮面ライダーアギト)さんのイベントではゲスト出演まで果たした。Youtubeで公開中の「銀河鉄道999(ささきいさお歌唱)」のカバー動画がキッカケで、松本零士さんの銀河鉄道999とコラボした「サントリースパークリング贅沢しぼり」のWeb CMボーカルにも選ばれ、本物のメーテルと映像内でコラボするという貴重な体験も得た。思い返せば、今までで一番、誇りを持てた活動だった。

しかし、空想アニメソングシリーズ含め、人前で唄う活動は退いてしまった。歌の活動は現在もYoutubeを拠点として継続しているが、昔のように体いっぱい何かを表現することはしばらくないだろう。あえて、0ではないとだけ言っておく。

与えてくれた仕事には誠意を持って応えたが、どこか釈然としない想いを抱え込んでいた。覚悟がなかったと言われればそれまでだが、何故、この仕事をやりたかったのだろう? 自分が望んでいる未来はいったいどんなビジョンなのだろう?と想いを巡らせた。

仕事をするならエンターテイメントと決めてから数年。歌なのか、役者なのか、なかなか形が定まらない。ただ目立ちたいからという動機で始めた歌手活動も失速した今。僕は、これまで見てきた夢の共通点を探すことにした。そこに突破口があると思ったからだ。どうしてMAGUMAは、漫画家になりたいと想ったのだろう? 空想アニメソングシンガーとして売れたかったのだろう? 声優になりたかったのだろう? と。

答えは、すぐ前の前にあった。

頭の中に、形も様々な色とりどりの宝石が入っている箱があった。僕はずっと、自慢のの宝石をみんなに観てほしいと思っていた。何故か? 光を放つ石の中には、一つひとつ物語が宿っていたからだ。その時、漫画家になりたかったのも。空想アニメソングシリーズを全力で売り出したのも。役者として表現活動をしたのも。自身が想い描いた物語を観てほしかったからだと気づいた。「答えは常に胸の中」。この言葉がまさに真理だと改めて感じた瞬間だった。

振り返れば、ずっと物語を綴り続けていた。特に空想アニメソングシリーズにおいては、アニメ本編がない分、歌詞だけで世界観を伝えなければならない。作家として生きることを決心したのはごく最近のことだが、「作詞」という形で、究極の短編集を生み出し続けていたのだ。

天はそんな僕の姿を見ていたのだろうか。運命は巧妙に仕組まれた歯車を回転させ、僕を映画の脚本家になるよう仕向けてきた。

ある時、音楽家のチーム内で「映画を作る」ことになった。ノンフィクションで、命をテーマにした内容だ。僕はその脚本を担当することになったのだ。映画に関する知識はてんで持っていないチームだったが、切磋琢磨しながらiPhoneだけで撮影。多くの協力を得て、自主制作映画としての公開までたどり着いた。映画「キャッチボール」は、現在もYoutubeにて視聴することができる。僕が担当した初の長編映画作品だ。ちなみに、映像の編集も7割ほどやっている。

長編作品を書くのには精神的な体力がいる。もちろん、キャッチボールの執筆にもああでもないこうでもないと葛藤があったが、約3日間で書き上げるという成功体験を得た。その後の微細な修正もあったが、90分の作品を書くために寝る間を惜しんだのは今でも良い思い出だ。

脚本を執筆していると、自分の中で「これだ」という目標が生まれていた。それは、「当たり前のことに気がついてもらうための物語を書く」ことだ。

ハッピーエンドを迎えるために用意されている道は、意外と簡単なものばかりだ。にも関わらず、ほとんどの人はゴールに到達できないまま人生を終えていく。何故だろうか? それは、義務教育が凝り固まった常識を植え付けていることが要因となっているからだ。僕が夢に翻弄されたのも、余計な情報が脳内で錯綜していたからだと今ではわかる。ゴミに隠れて答えが見えなくなってしまっていたのだ。

上記のような書き方をすると義務教育を批判しているように捉えられてしまうが、そういうわけではないと先に弁解しておく。常識に疑問を持つことが大事だと言いたいだけだ。

しかし、78億7500万人の人類が同じ考えを持つことは不可能だ。幼い頃なら尚更、大人の発言に惑わされてしまうだろう(だからこそ責任を持って嘘のない教育をしなければならないのだが)。人には気づきを得るためのきっかけが必要となる

僕がストーリーテラーになった理由はただ一つ。迷える人たちが常識を疑えるよう導くためだ。自らが情報を得て、自らが選択をする力に目覚めてもらうために語り部になったのだ。疑うことで、心の中にある価値を見える化することができる。だから僕はこの能力を存分に行使すると決めた。

MAGUMAの活動をずっと見てきた人は、コロコロ考えが変わる男だと不安になっているかもしれない。僕はいつも人生を模索し続けている。父からは、「生き急ぐな」「もっと気楽に生きろ」とよく心配されるが、自分の性分がそれを許さないのだ。僕の中にいるもう一人の存在が、「なぜだ!なぜだ!」と訴え続けてくるからだ。

僕は自分の考えを上手く口に出せない。やりたいこと、理想も言葉にできない。唯一、夢や思想を語ることができる場が文章の世界だった。ホームページ上に展開しているブログを遡れば、僕が如何に迷いながら、生き方を探し続けているかわかるだろう。正直、恥ずかしいのですべて消し去りたい気持ちもあるが、あえて「これがMAGUMA」だという証として残すことにする。時間があれば、また読んでみてほしい。今の綴り方とは随分と変わっていると確認できるはずだ。

人生は物語だ。僕やあなたは主人公。しかし時には脇役に徹することもある。登場人物の一人になることで誰かの物語を彩り、互いのハッピーエンド(もしくはバッドエンド?)に向けてペンを握っている。エンドロールで流れる名前の数は、あなたの生き方によって変動するだろう。せっかくなら、多いことに越したことはない。もちろん、途中で席を立たれるかもしれないが。

僕は作家として、自分の人生をも物語として発信していこうと思っている。その媒体がこのブログなのだ。感じたこと、疑問に思ったこと、すべてを物語として執筆していく。娯楽にするもよし。学べることがあればインプットに使ってもらってかまわない。できるだけ楽しんで観ていただけるよう配慮するが、おかたく演出してしまうことをどうか許してほしい。これもまた、性分なのだ。

MAGUMA STUDIOSのモットー「想像で世界を変える」は、きっと今から始まる物語のために降りてきたものなのかもしれない。MAGUMAの物語がハッピーエンドを迎える瞬間は、僕が世界を変える時だ。

あなたも人生の良きストーリーテラーであらんことを。健闘を祈る。

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