広告 筆者の小説・詩

ショートショート「不思議な呼び出しベル」著者 MAGUMA

 深夜、24時間営業のレストランには、ごく少数の客と、同じく少数の店員のみが各所に点在していた。魂が抜けたようなやる気のない店員たちの姿は、一周回って店のインテリアのような役割を果たしており、かえって清々しい。
 店内には、客が呼び出しベルを押す度に誰が作ったのかもわからない簡素な音色が響き渡っている。

 そんな中、男「深堀信二郎ふかほりしんじろう」は、ひとり記憶の図書館を閲覧し続けていた。正確にはひとりではなく、友人「真抜照之まぬけてるゆき」と共に来店しているのだが、今の信二郎には友人に気を遣えるほどの余裕はどこにもなかった。先ほどから流れている呼び出しベルの音色が、気になって仕方がなかったからだ。

「やっぱりおかしい」
「へ? 何が?」

 待ちくたびれた挙句、主語のない発言に不意をつかれた照之は、苗字の如くまぬけな相槌を打ってしまった。

「思い出したんだよ。注文した時に流れる音のこと。やっぱり変だ」
「昔よく通ってたレストランじゃないか。今さらどうしたってんだよ」
「前から思ってたんだけど、音が変なんだよ。なんか微妙にずれてるっていうか、気持ち悪いんだよな」
「職業病だろ」
「そんなんじゃないよ。よく聞いてみろ」

 信二郎はピアニストだった。幼い頃からピアノに触れてきたせいか、彼には絶対音感という能力が備わっている。しかし、本能に問いかけてくる違和感の正体は、不協和音という表現では解決できない謎めいたものがあった。

 注文音が鳴り、二人は改めて、その音に耳を傾けてみる。

「ほら、変だろ?」
「……言われてみれば」
「なんでだと思う?」
「ピアニストのお前でもわからないのに、凡人の俺が知るわけないだろ。機械が壊れてるんじゃないか?」
「それだったら遠の昔に直されてるはずだろ? ここに来るのは20年ぶりだ」
「確かに、昔もこの音だったか」
「あぁ、明らかに変だ。なのに、なぜ誰も気が付かない?」

 店内には、我関せず食事や談笑を続ける客や、デートをしているはずなのにお互い黙々と携帯を触っているカップル。そして配膳やレジ打ちをする店員がいるだけだった。慣れ親しんで気にならなくなっただけなのか。店長の職務怠慢で報告をしていないだけなのか。

「店員に聞いてみよう」
「え? それほどのことかよ」
「気になるじゃないか」
「まぁ好きにしろよ」

 信二郎は呼び出しベルのボタンを押し、店員を呼ぶ。その間流れている音色も、やはり不可解な旋律だった。

「はい、お伺い致します」
「あ、すみません。ここの呼び出し音って、ずっと壊れてるんですか?」
「呼び出し音?」
「はい、ボタンを押した時に流れる音のことです」

 気まずそうな表情の照之を横目に、信二郎は淡々と店員に聞く。

「さぁ……昔からずっとこの音なので、考えたこともなかったです」
「そうですか……音階が合っていないような感じがするのでつい。直した方がいいと思いますよ」
「承知致しました。ご意見ありがとうございます」
「すみませんね〜! こいつピアニストで音にはうるさくて」

 すかさず照之が店員にフォローを入れる。少し困ったような表情を浮かべながら、店員はそそくさと厨房に戻っていった。

「あ〜恥ずかしっ! もうやめてくれよなしんちゃん」
「聞いたか照之。『考えたこともなかったです』って、おかしくないか」
「店員に言っても仕方ないだろ。こういうことはオーナーに言わなきゃ」
「なるほど、オーナーか」

 照之は、「しまった」と言わんばかりの表情を浮かべた。苗字の如く、気になったことは徹底的に調べ尽くし「深掘り」するのが深堀信二郎だからだ。彼の性格は頑丈に建てられた太い柱で仕上がっていてなかなか融通が効かない。その代わり、ひとつの分野に対して突出した知識と技術を体得する才能を持っていた。

 信二郎はすぐさま店の名前で検索し、さらにはこの店舗を取り仕切っている大元となる会社の名前まで特定した。深夜なので電話をかけることはできなかったが、昨今はYoutubeという画期的な動画ツールが存在している。

 店の名前、スペース、呼び出しベルと入力し、各店舗で使われているベル音を聞き比べてみることにしたのだ。

「よし、見つけた」

 信二郎の作戦はてきめんだった。このご時世、多種多様なマニアがいるもので、各店舗で共通して使用されている呼び出しベルを集めた作業用BGM集がすぐにヒットしたのだ。
 一瞬で終わる刹那的音色に作業も何も合ったものではないが、小さな疑問の答えが最も簡単に割り出せるとは、良い時代になったものだと、信二郎は感心した。

「この系列のファミレスは、呼び出しベルはすべて同じみたいだな」
「へぇ〜知らなかった」
「聴いてみよう」

 だが、動画を再生してみると、信二郎の予想は大きく覆された。他店で使われている呼び出しベルの音は、精密に和音が調整されたごく一般的なベルの音と何ら変わりがなかったからだ。

 では何故、他店ではちゃんと機能しているベルが、このファミリーレストランだけは不愉快極まりない音色として甘んじているのだろうか? 解決策のはずがら信二郎にさらなる疑問の種を植え付けることとなってしまった。

「店長を呼ぼう」
「おい正気かよ」
「正気だし、本気だ」
「せっかくの再会が呼び出しベルで台無しになるはごめんだぜ」
「すまない、どうしても気になって仕方がないんだ」
「まぁ乗りかかった船だし、付き合うよ」

 今度は店長を呼び出すため、信二郎はもう一度呼び出しベルを押した。もちろん、音色は歪なままである。
 店員に言伝を施し、程なくして、この店舗の店長である小太りの中年男性が二人の前に歩いてきた。

「いかが致しましたか?」
「すみません、呼び出しベルのことについて聞きたいのですが」
「え? あ、はい……え? 呼び出しベル?」

 食事に異物が混入していたのか。それとも単なる言いがかりか。さぞあらゆる推測を脳内で展開させていたことだろう。しかし、店長である男の推測も用意していた回答のテンプレートも、ことごとく海の藻屑となってしまったようだ。面持ちは、笑顔ながら少々の冷や汗が見てとれる。

「変だと思いませんか?」
「はぁ……変……でしょうか?」

 やはり恥ずかしそうに顔を隠している照之を尻目に、信二郎は、死んだ仲間を見捨てる武将のように質問を続けた。

「音がずれてるんですよ。ほら、聞いてみてください。他店ではこのように正常です」

 先程の作業用BGMの動画を聴かせる信二郎に応え、店長は腰をかがめながら、慎重にその音色に耳を傾けた。他の客も、何事かとこちらの様子を伺っている。

「申し訳ありません。私には違いがどうしてもわかりかねます」
「そんなはずはありません。明らかに違います」
「そうおっしゃいましても……考えたこともありませんでした」
「すぐに直すべきです。このままでは店の営業にも関わってくると思うのですが……」
「はーいはいはい! すみません、ありがとうございましたー!」

 妨害するように照之が間に割り込み、困り果てた店長を信二郎から引き離す。

「照之、まだ話が途中で」
「いいからちょっと黙れ」

 逃げるように去っていった店長は、厨房に姿を隠した。

「やっぱりおかしいよ照之。この音源を聞いてもシラを切っている。何か隠してるんじゃないか?」
「ザイオンス効果ってやつだろ? 嫌なもんでもずっと見たり聞き続けてたりすると、なんとなく親近感が湧いてくるってあれだよ」
「嫌悪感が麻痺してるってことか?」
「まぁそういうこと! さっ、もうこのことは忘れようぜ」

 今ひとつ納得できない信二郎は、照之の言う通り、気のせいだと思うことにした。

 深夜のファミリーレストランは少人数ながらも独特の賑やかさがある。ある種の無法地帯とも思わせる雰囲気が漂っている中、照之との会話は昔話から互いの近況報告まで留めどなくキャッチボールされていった。だが、客が呼び出しベルを押す度に、信二郎の意識は幾度となく迷宮へと引き戻されていった。

「すみません、なんかここの呼び出しベル、壊れてませんか?」

 その時、レジからひとりの男性客の声が、鮮明な形で信二郎の耳に飛び込んできた。会計を済ませた男性客が、呼び出しベルについて、店員に問いかけていたのだ。

「呼び出しベルですか?」
「はい、なんかずれてるっていうか……ちょっと気になってしまって」
「はぁ……考えたこともありませんでした。また確認してみますね」
「いえいえ! こちらこそ、急に変なことを聞いてすみません」
「とんでもない。ありがとうございます」

 別段ギスギスした空気になるわけでもなく、店員と男性客は他愛もない世間話をするような感覚で会話を交わした。会計後、店員はすぐに厨房に姿を消し、男性客は店の外へと出て行った。
 信二郎は、「ほらみろ」と言わんばかりの鋭い眼光を照之に向け、照之も肩をすくめて応えて見せる。照之が興味を持っていないことは一目瞭然だった。

「照之、今の聞いたか」
「聞いた聞いた聞いたよー」
「真面目に応えろよ。『考えたこともなかった』って、これ店長も言ってたろ」
「たまたまだよ」
「いや違う。まるでゲームで話すNPCみたいに用意されてる台詞みたいだ」
「しんちゃん、ゲームやるんだな」
「たまにな」
「へぇ〜、最近何やったんだよ」
「俺は基本的にRPGしかやらないんだが……って話を逸らすな」

 ふと、信二郎は窓から見える駐車場に目をやると、先程の男性客がスーツ姿の男性と話している。

「さっきの男性客、ひとりだったよな?」
「ん? ああ、外で連れを待たせてたんじゃないか?」

 照之に向けていた視線を再び駐車場に戻すと、男性客とスーツ姿の男は、いつの間にかもういなくなっていた。普通に過ごしていれば、他の客の動向や人数など気にも留めない。きっと気のせいだろうと信二郎は思った。

 昔から知的好奇心旺盛だった信二郎は、呼び出し音が鳴るごとに、意識下にある探究心を刺激されていた。違和感は注文される度に蓄積され、さらに関係のない客
同士の会話まで耳につくようになっていった。

 店員や店長の言動。他店舗と合わない不安な気持ちを呼び起こすベルの音。次第に脳内で反響し続ける意味不明な謎に正気を奪われていく自分を感じ、信二郎は首を振って雑念を払った。

「デザートでも頼むか〜」

 照之は何気なく呼び出しベルに手をやろうとしたが、その手を恐ろしい眼差しで凝視する信二郎の視線を感じ、急遽、肉声にて店員を呼ぶ。

「しんちゃんよ、気にしすぎだぜ」

 照之の助言もそこそこに、信二郎は少々まいった様子で席を立つ。

「ごめん、すぐ戻る」
「お、おう」

 頭を冷やすためにトイレへと向かった信二郎は、豪快に水道水で顔を洗った。いつもならトイレの水道水というだけで抵抗感があるが、今の彼はそれどころではなかった。やはり、何かがおかしい。

「疲れてるだけか……」

 たかが呼び出しベルひとつの事なのに、何故かどうでもいいことが頭の中で環状線のようにぐるぐると周っている。進んでいるかと思いきや、酔って寝ている間に「呼び出し音」という名の駅に戻ってきているような感覚だった。

「大丈夫ですか?」

 後ろから声をかけられ、信二郎は急ぎ体を洗面台から退ける。思考のループに陥って、ドアの開閉音に気が付けなかった。らしくない。
 呼び出しベル如きで冷静さを失っている自分に気づき、どこか馬鹿馬鹿しくなり表情を緩める。信二郎は、気を取り直して声の主と面を合わせて謝ることにした。だが、その人物が信二郎をさらなる違和感へと誘うことになる。

「え?」

 そこに立っていたのは、先程退店したはずの男性客だった。忘れ物でもしたのだろうか? それとも、急に催してトイレを借りに戻ってきたのだろうか? いやおかしい。店を出てから30分近くは経っている。トイレであれば近くのコンビニでも駆け込んでいるはずだ。

「どうかしましたか?」
「いえ……す、すみません」

 勢いよくトイレから飛び出した信二郎は、扉の前で深呼吸をし、気分を落ち着かせる。きっと、考え始めたら止まらない悪い癖が出ているのだろう。そう言い聞かせながら、照之の座っているテーブル席へと歩いていった。

「しんちゃん、どうした?」
「い、いや、なんでもない……気のせいだ」

 しかしトイレから出てきた男性客は、まるで初めて入店したかのように何食わぬ顔で再び席につき、あろうことか呼び出しベルを押した。そう、これから注文しようとしているのだ。

「え!?」

 思わずと声が出た信二郎に、照之もつられて驚く。

「びっくりした……さっきからどうしちまったんだよ」
「あの客……さっき出ていっただろ」
「え? いや、初めて見る顔だよ」

 とうとう照之までおかしなことを言い始め、信二郎の脳内は混乱し始める。

「冗談だろ? 会計しながら呼び出しベルのことを店員に聞いていたじゃないか!」
「なんの話してんだよ……ていうか声がデケェって」
「ふざけるな!!」

 思わず立ち上がった信二郎に、店中の人間が振り返った。タイミング悪く呼び出しベルを客が押してしまったことにより、不快な音色が、静まり返った店内の至る所を無数の蛇のように這いずり回っていく。その様子が、信二郎の神経をさらに逆撫でした。

「この音も! あの客も! なんでみんなおかしいことに気がつかないんだ!」
「お、おい、しんちゃん落ち着けよ……」
「変だろ! なぁ! 変だろ!? ほら! 聞いてみろよこの音を!」
「音ってなんのことだよしんちゃん」
「さっきまで話してたじゃないか!」
「いや、昔話と近況報告しかしてないぜ?」

 怒りが頂点に達した信二郎は、これ見よがしに呼び出しベルを押し続ける。店内に連続で流れるベルの音は、ひとり騒ぎ立てる信二郎を虚しい男のような演出している。

「聞こえないのかこの音が!? こんな呼び出しベルはおかしいんだよ! 普通は直すだろ!? でも20年以上手をつけられていない! なんで誰も気がつかないんだよ! 客を呼ぶ気はあるのか!? あとあんた! さっき店から出ていったよな!? スーツの男とはなしてたろ!?」

 指を刺された男性客は、困惑した表情で信二郎に応える。

「ぼ、ぼくはひとりですし、この店には今初めてきたばかりで……」
「嘘をつけぇ!!」

 身を乗り出した信二郎を慌てて立ち上がり抑える照之。店員のひとりが厨房に隠れ、どこかへ電話をかけている。だがお構いなしに、信二郎は音のことや男性客のことを説き続けていた。客は圧倒されて何も言えないか苦笑するばかりだ。

 深夜にもなると風変わりな客が出入りしていく。そんな夜の顔が不思議な空間を作り出しているのかもしれない。この世においては、予測不能な出来事なんて星の数ほどあるではないか。当たり前のことなんだ。これもすべて、当たり前のことなんだ。と、信二郎は呪文のように心の中で唱え続けていたが、ついには均衡を保ち続けていた回路はショートしてしまった。

「照之! お前はわかってくるよな?」
「わかった! わかったから!」

 いまだ興奮冷めやらぬ信二郎の目には、憐れみを宿した瞳で見つめる幼馴染の姿と、侮蔑の意を宿した瞳で見つめる客や店員たちの姿が見える。
 しかし、そこに見覚えのない男の姿が映り込んだ。

「あれ誰だ?」
「え?」
「あのスーツ姿の男だよ!」
「何言ってんだよしんちゃん!」
「あの客が駐車場で話してた相手だよ! ほらあんた! 覚えてるだろ!?」

 照之も標的となった男性客も、スーツ姿の男に関しては知らぬ存ぜぬを貫いている。それ以前に、他の人間もそこにいるはずの男の存在に目もくれていなかった。

 まさか、見えていないのか? だとしたら、こいつは……誰だ?

「修正」

 スーツ姿の男が一言言い放つと、まるで獲物を見つけた黒豹のように、信二郎に向かって早足で近寄り始めた。異常な状況に血の気が引き、怯えた信二郎は錯乱して悲鳴をあげる。

「しんちゃん!」

 信二郎はレストランから飛び出した。

 外には人通りがなく、車も通っていない。いくら深夜とは言っても不自然な光景だった。だが、後ろからはスーツ姿の男が追いかけてくる。気にかけている余裕はない。

「来るな!!」

 信二郎は大急ぎで道路のど真ん中へと走るも、視界は少しずつ砂嵐のようなグリッチがかかり始め、満足に進行方向を精査することができなくなっていく。

 次第に意識が朦朧とし足元がおぼつかなくなると、信二郎は骨抜きにされたかのように地面にへたり込んでしまった。
 仰向けになった信二郎の目を、星や月のない真っ暗な夜空が粛々しゅくしゅくと見下ろしている。ぼやけているからなのか、それとも本当に存在しないのか、もはや判断できる思考は持ち合わせていない。

「対象物、発見」

 どこに隠れていたのか、次々とスーツ姿の男たちが覗き込んでくる。信二郎は声を出そうと声帯の筋肉に信号を送り、わずかに残っていた力を駆使して、宙に向かってつぶやいた。

「……あの呼び出しベルの音は……変だ……」
「修正」

 最後に聞こえたスーツ姿の男の声が、暗闇の中でやまびこのように往来し、信二郎の瞼を優しく閉じた。

ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・

「久しぶりだな〜! しんちゃん!」
「え? あぁ、久しぶり。照之」

 「深堀信二郎」は、幼馴染の「真抜照之」とファミリーレストランに来ていた。深夜、24時間営業のレストランには、ごく少数の客と、同じく少数の店員のみが各所に点在している。魂が抜けたようなやる気のない店員たちの姿は、一周回って店のインテリアのような役割を果たしており、かえって清々しい。

「ここに来るのも20年ぶりか」
「しんちゃんがバックパッカーになる! って決意した時もこの場所だったなぁ」
「そうだっけ?」
「そうだよ! それとも、世界の広さを知った男には、もう遠い昔の記憶だったかな?」
「からかうなよ……さぁ、何か頼むか」

 呼び出しベルを押そうとする信二郎はふとその手を止める。

「どうした? しんちゃん」
「……いや、なんでもない」

 笑顔でボタンを押し、信二郎は旧友との思い出話に花を咲かせる。店内を心地よく包み込む、ピアノの旋律に耳を傾けて。

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