筆者の思想

自分の誇れる自分で生き抜けているか

どうも、MAGUMAです。
歌手・作詞家・脚本家、その他もろもろ
いろいろなエンターテインメントを作り活動しています。

本当になりたい自分の姿を思い浮かべたことはありますか?

ここ最近は、人の精神、意識、心の部分を中心に情報を収集していることもあり、僕を含めた人間は、どれだけ自分のために生きれているのかと疑問に思うことが増えてきました。

今日は迷える?男の一人語り記事です。

自分の誇れる自分で生き抜けているか

MAGUMAは定期的に「誰のための人生だ」と心の底から叫び、この世の不条理な部分にヘイトを曝け出すことがあります(大袈裟に言ってます)

以前、エゴと自分の意識はまったく別物であることを記事にしたことがあります。怒りを含めた自分を惑わし支配してくるエゴイスティックな思考は自分ではないというメッセージです。

本当の自分というのは意識そのものであり、思考している自分を見ている者こそが真の自分です。よって、欲などそう言った面で思考を巡らせているエゴイスティックな存在と同一化してしまうことは危険なことだと、ある人が説いているのを見ました。

ここ数ヶ月、そういった精神面での知識を学んでいるうちに、人間関係の複雑さがより明確に見えてくるようになりました。と言っても、僕自身が何かに困っているというわけではなく、人間という大きな括りで見ると、なかなかに生きづらい世界を構築してしまってるなぁと、感じることが多くなってきた次第。

これを言ったら嫌われる。
これを我慢すれば危険を回避できる。

上記二つは、状況によっては確かに功を奏するかもしれません。
ただ、それと同じく、自分の精神面へのダメージが蓄積されていくというリスクもついてきます。

妙なレールの上を歩き続けてきた人にとっては「嫌なことはやめればいい」という言葉は楽観的に見えるかもしれません。そんなに現実は甘くないものだと言うでしょう。

でも実際、目の前にある現実は自分の思考によって構築された建造物だという話もあります。何が言いたいかと言うと、現実を難しくすることができるのならば、イージーモードにすることだってできると言うことです。

みんなとにかく、現実を複雑なものにしがちなように思えます。
アドラー心理学にもあるとおり、人生は至ってシンプルです。

「できるならやる」「やりたいからやる」「ダメだったら辞める」

これくらいのノリで生きて行ってもいいんじゃないかといつも思うのですが、如何せんいまだ成功を収めていない僕が言っても説得力がない(笑)鼻で笑われるのがオチです。

それでもあえて記事にするのは、自分を改めるための自戒として残すと言うことと、このメッセージを見たどなたかが、生き方を変えるきっかけになればと思ってのことです。

今僕は、自分の誇れる自分で在るために、今この瞬間を生きています。エゴに支配されていた自分から脱出し、エゴを支配する側になっています。

何のために生きているのか?そう聞かれた時、多くの人は様々な理由を言葉に表すでしょう。しかし、僕はこの問いをある本で読み、ハッとさせられた文章を目にしました。

「何のために生きているのか?」この質問を何度も何度も繰り返し行うと、その人が本当に願っている回答が出てきます。それは「幸せになりたいから」です。

シンプルですよね。本当はこれでいいんだと思います。

大義名分を掲げることは立派ですが、そのベールに力を入れすぎているが故に、自分のことを考えることを忘れてはいませんか?なにも自分勝手になれと言っているわけではなく、自分自身をもっと大切に扱ってあげないと、本当の幸せを掴むチャンスを逃してしまうということです。

もう社会という言葉に翻弄される必要なんてないんです。これからは人と心がもっと重要な時代になっていくと感じています。道徳を重んじながら、ここいらで好きなように生きてみませんか?

ハートで生きましょう。

そうすれば、もっと今は明るくなります。
さて、僕も顔晴ろうかな。

それでは今日はこの辺で。

-筆者の思想