筆者の思想

信じたいものを”信じよう”

唯一無二の真実なんてこの世には存在しない。

そう気づいた時。僕は結局のところ”生きたいように生きるしかない”のだと思い至った。信じたいものを信じるしかない。僕らはその都度、都合の良い情報を利用して対話し、生活をし、争い合っているのだから。

有益な情報を求めてネットの海に溺れていた頃。僕はただより良い人生を歩みたい一心で、科学的根拠のある健康法や思考法を試してきた。

もちろん、僕の信じてきた情報の数々には、正反対の意見も数多くある。気になって否定派の記事や本を読んでみると、これまた科学的根拠があり信憑性の高い内容だった。

中身のないものから濃厚なものまで、現代は多くの情報で溢れかえっている。今一度、僕はそれぞれの信じている情報の共有について、自身の経験を踏まえて考えてみることにした。

僕は周期的に糖質制限をしているのだが、この取り組みによって得られる恩恵を知人に語ると、食べることが大好きな知人は表情を曇らせた。そして聞くや否や、糖質制限によって起こる弊害や、食べることこそ健康に大きく繋がることを雑学王が如く語り始めたのだ。彼は「結局、信じたいものを信じるってことでいいんじゃないですか?」と結論を出していたが、僕は密かに「たくさん食べたいから『食べても大丈夫』という都合のいい科学的根拠の記された情報ばかり調べてるんだな」と、心の中で思っていた。思った瞬間、僕自身も”都合の良い情報”を無意識に調べていることに気がついたのだが……。

「正しい」「正義」などといった言葉に囚われ、どちらか一方が正義で悪だ! と選ばなければならない僕らの世界は、窮屈極まりない監獄のようなものだ。最低限のルールに従うことは生きていく上で必要なことだとは思うし、決まりがあるおかげで幾分か安心した生活を送れていることも事実だろう。しかし、もう僕らは他人の創り上げた世界で従順に過ごすことから卒業したほうがいいのではないか? と時折思うのだ。

先程紹介したような知人とのやりとりも、俯瞰してみれば何とも不毛な議論だ。なぜこの対話が引っ掛かっているのか思い返してみたが、どうやら僕は”雑学を反論の材料として扱う人間”があまり好きではないようだ。つまり、人をねじ伏せるために情報を利用する者が心底嫌いなのである。

お金に罪がないことと同じくして、情報も扱う人間次第で悪にも正義にもなり得るもの。雑学然り、情報は報酬として相手へ支払わねばならないものだと思っている。どうしてか? 答えは単純で”僕らが幸せに生きるため”である。どのように進めば平和で安心した未来を手に入れることができるのか? みんなその答えを求めて人生の旅を続けている。例えるならば、情報は僕らにとって何ものにも変え難い地図の一部で、恩恵だろう。

知識の押し付けは他人の地図に無理やりマジックペンで書き込む行為と同じだ。相手は相手専用のペンがあり、自分で書き込めるように余白を作らなければならないと思っている。情報は与えるのではなく貢献するもの。「俺はこの話を信じているけど、君はどう思う?」くらいの優しさがなければ成立しないだろう。

危険なのは、情報を持って意図的に人を操る人間が少なからず存在することだ。情報は人の自由を奪えるほどの絶大な力を持っている。メディアで「ここの卵が売れている!」と取り沙汰されれば、次の日からしばらくは完売が続いているのを見た人も多いと思う。

常に疑い続ける人生もつまらないとは思うが、適度に精査しなければいいように操られてしまう。なので、情報との向き合い方を考える必要があるだろう。並行して、情報を発信する相手に対する心持ちも改めるといいかもしれない。情報を議論として使うのではなく”共有財産として”使用するのだ。

僕らは競争して勝ち上がることで欲求を得る生き物だ。この性質は心理的に創り上げられたもので、家庭もしくは義務教育で培われたことが多い。そのおかげで劣等感を抱くようになり、誰よりも優れていたいと渇望するようになった。情報も、競争に利用されている一つのツールに過ぎないのかもしれない。

この世に唯一無二の真実なんて存在しない。

生きたいように生き、幸せになるためには、やはり、信じたいものを信じるしかないのだ。

さぁ、今日も顔晴ろう。

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