筆者の思想

阪神淡路大震災を経て

昨夜、阪神淡路大震災から27年を迎えました。

当時の僕は4歳くらい? で、覚えているのは、

母親が自分に覆い被さっている光景でした。

 

なぜ? 水汲みに行かされるのか?

なぜ? 他人が家の水をもらいにきているのか?

なぜ? 神戸の町中が瓦礫の山なのか?

 

何が起こったのかわからない僕は、只々、

無責任に疑問やイライラを表に出していたように思います。

 

気づいたのは、ある程度時を経てからのこと。

あの日あの時、有無も言わさず起こったことは、

とてつもない自然災害だったと知ったのです。

 

母が僕を守ってくれていたことを含め、

抱いていた数々の疑問は、この日にすべて理解できました。

 

みんな、必死になってその瞬間に決断し、

守りたいもののために戦っていただけだったと。

 

早くも27年が経過し、僕らは何不自由なく神戸で暮らせています。

僕の場合は、幸いなことに、家族や身内も無事に生き延びることができました。

 

しかし、大切なモノを亡くされた方々や、被害者の皆様にとっては、

傷跡は生々しく刻まれていることでしょう。

いまだにフラッシュバックを繰り返している方も多いと思います。

 

あの災害を風化させてはいけない理由として個人的に想うのは、

地球という星に住んでいる以上、この星と共存するのは、非常に困難であるということと、

何よりも、僕らは一瞬一瞬を、精一杯生きれているのか? ということです。

 

誰しもが、明日、大きな災害が訪れて、

自分、または家族、友人が命を落とすことなど想像もしていません。

 

もしも、明日、死んでしまうとしたら?

 

こう考えてその日を過ごせば、いつもと行動が違ってくるはずです。

人に優しくなれるかもしれない。会いたい人に会いに行けるかもしれない。

「ああしていればよかった」という後悔をなくすために、

あらゆることを真剣に考えるはずです。

 

阪神淡路大震災という悲劇から僕が考えるのは、

生きるということの大切さです。

 

簡単なようで、なぜこんなにも難しいことなのか。

言っている僕ですら、それがしっかり意識できているとは言えませんが、

今一度、今日の自分の生き方を見つめ直し、全力で、後悔のない日々を過ごしていきたいものです。

 

あの日、志半ばで旅立っていかれた方々の気持ちなど、

僕には到底、想像できないことかもしれませんが。

この場をお借りして、亡くなられた皆様のご冥福を

心よりお祈り申し上げます。

 

そして被害に遭われた多くの皆様にとって、

この先、満ち足りた幸福が訪れるよう願っております。

 

僕も顔晴って、エンタメを作ります。

 

それでは、また明日。

-筆者の思想