「二人だけの秘密だぞ」と言い出してしまう前に、まずは秘密について深く知る必要がある。それが例え二人だけであろうとも、誰かに発言した時点で、その内容は秘密ではなくなってしまうからだ。
真の秘密というものは、必ず個人の頭の中にのみ存在するもの。一度パンドラの箱に入れたら、決して誰にも明かしてはならないのだ。だが、多くの人間は秘密というものの概念を軽く捉えている。軽く捉えているがゆえに、隠していたはずの秘密の鍵はいつの間にか漏洩し、他者に知れ渡ってしまうわけだ。
僕はもともと口が軽い人間だった。
面白いと思ったネタはすぐに他の人間に話していたし、それが悪いことだとも微塵も思っていなかった。高校時代の話だ。知人がとある女性に好意を持っていると聞いた僕は、その話を他の知人にも話して回ったことがある。結果「お前、何人に話してん!」と、知人からは叱咤されてしまったわけだが、その頃から、少しずつ秘密について深く考え込むようになっていった。
まず、なぜに秘密は漏れてしまうのか?
答えは簡単で、人に話してしまうからだ。では、秘密であるにも関わらず、僕らはなぜ人に話してしまうのだろう?脅されて話すこともあるかも知れないが、滅多なことがなければ刑事ドラマのようなシュチュエーションになることはない。僕は、漏洩の鍵を握るのは、”信頼”という二文字のワードに絞られると考えている。
「あの人ならバラさないから大丈夫」という言葉を聞いたことはないだろうか?
秘密が漏洩する瞬間には、必ずと言っていいほどこの台詞が発せられる。信頼という二文字から得られる安心感によって、人はいとも簡単に秘密の箱を開錠するのだ。だが考えてみてほしい。あなたは”絶対に秘密をバラさない知人”に内緒話をするわけだが、その知人も”絶対に秘密をバラさない知人”に、あなたが開いた箱の中身を見せる可能性はないのか?と。
信頼していた相手は、また信頼をおいている相手に秘密を暴露し、必然的に秘密は伝言ゲームのように広まっていく。これが秘密が秘密でなくなるカラクリだ。要するに、本当に秘密にしておきたい内容は、そもそも他人に話してはいけないのだ。
と、理屈ではわかっているはずなのに、人は易々と情報を売り続けている。
さて、実は噂話は、原始時代から少しずつ人類に定着してきた生存戦略の一つらしい。生きるために、ヒソヒソ話は重要だったわけだ。それはなぜだろう?現段階で推測されている答えは、裏切り者は誰か?敵はどこに潜んでいるか?といった、危険を認知するために必要だったからだと言われている。密かに情報をやり取りすることによって、取捨選択の効率を上げていたのだ。僕らが日々受けている秘密という名の呪いは、噂話という伝達手段の発達から生じた機能不全なのだろう。
結論、秘密にしたいことは自分の中だけにとどめるに限る。また、秘密を隠すために嘘八百をつくのもおすすめはしない。秘密を作り嘘を重ねる行為は、自ら厄介事という生き物に養分を与え、大きく育てる行為に等しい。育ち切った厄介はたちまち周りに悪影響を及ぼし、最終的に必ず自分の身に帰ってくるのだ。どうせバレるのだから、初めからクリーンな心持ちで生きた方が、後ろめたさもないスッキリとした日常を送れるというもの。秘密という概念を深堀することで、いかに人間が愚かな過ちを繰り返しているか俯瞰的に見ることができ、自らを改めるキッカケを見出せるのだ。
僕も、あなたも、今日が一番若い日。共に教訓を活かし、明日へ繋げていこうじゃないか。
では、また。
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