類稀なる卑弥呼の統率力によって、邪馬台国率いる30余の国々は、邪馬台国連合として平和を分かち合っていた。倭国大乱が終息し、長きに渡る平安が訪れ、人々の心に安寧がもたらされたのだ。しかし、所詮は人間である。卑弥呼と相対し、邪馬台国連合に属さない国も存在した。それが、邪馬台国の南にあったとされる「狗奴国」という国だった。そして、狗奴国のおさめる者こそが、卑弥呼に牙を剥き続けていた男の王である。
その男の名は「卑弥弓呼(ひみここ)」。
読み方は卑弥弓呼(ひみくこ)であったり、卑弥弓呼素(ひめこそ)。文字の違いで言えば卑彌弓呼であったりと諸説ある。卑弥呼の名前と酷使する卑弥弓呼なる人物は、実のところ、卑弥呼と邪馬台国の話の中でより謎に包まれているのだ。
今回は、謎の男「卑弥弓呼」の正体についての仮説を紹介し、日本史のディープな世界観に没入してみようと思う。
それではしばしの間。私とともに歴史の浪漫の渦へと旅を始めよう。アンチ邪馬台国を掲げ続けた狗奴国の王「卑弥弓呼」へと誘う旅へ。
卑弥弓呼という男
卑弥弓呼は、狗奴国より北にある邪馬台国に対し、247年に戦を起こしたという記録がある。魏志によれば、卑弥呼と卑弥弓呼は随分前から不仲だったようで、卑弥呼が外交による勢力の確保に長けていたのは、狗奴国と邪馬台国が一触即発の状態だったからだと推測される。
まず、何故に卑弥呼と卑弥弓呼は名前に共通点が多いのかという疑問が浮上する。
当時の倭国における、位の高い身分の敬称である可能性だ。例えば、女性の場合はヒミコで、男性の場合がヒミココであるといった具合である。卑弥弓呼と卑弥弓呼は写し間違いであると仮定し、卑弥弓呼は卑弓弥呼をヒコミオ(あるいはヒコメオ)と読み。また卑弥呼をヒメオと読む。すると頭2文字を男女をあらわす日本語のヒコ(彦)とヒメ(姫)になると敬称説では語られている。多少強引な解釈となるが、卑弥呼が日巫女・姫子で、卑弥弓呼が彦御子・彦命だと考えると、両者とも神聖化された存在であったことが窺える。日本書紀において、姫子や彦命などは、皇族たちの尊称であったとされているからだ。
もうひとつは、卑弥呼も卑弥弓呼も血縁関係、つまり、親族であったとする説だ。一族の襲名性で名付けられるのだとすれば、名前が似ているのも納得がいく。この仮説だ正しいものだとすると、邪馬台国と狗奴国の争いは、一族による権力争いだったことになるだろう。
最初に邪馬台国を統治していたのは男の王で、男の王の政治によって国々は争い、倭国大乱という戦国時代に突入していた。卑弥呼と卑弥弓呼は、もともとその男の王の統治下にいた一族であったが、各国の首長の会合によって卑弥呼が女王として擁立されたことを皮切りに、卑弥弓呼含めるその一派は邪馬台国より離散し、別勢力として拡大を続けた。そうして出来上がったのが卑弥弓呼を王とする南の国「狗奴国」ではないかという解釈だ。
この推測であれば、元より不仲だったという魏志の一文とも繋がりが見えてくるが、まだまだ推測の域を出ない。あくまでも、卑弥呼と卑弥弓呼の関係性をドラマチックな視点で見た上での話となるだろう。
しかしながら、狗奴国と卑弥弓呼についての表面上の情報はほんの僅かであり、エビデンスは卑弥呼より圧倒的に少ない。卑弥呼と戦争が始まったかと思えば、卑弥呼は戦の最中に没し、死因も不明。それに加えて卑弥弓呼については年齢不詳。没年不詳で、尚且つ戦の決着もどのようについたのか分からず終いであり、兎にも角にも謎だらけなのだ。
以降の歴史は空白の150年と呼ばれる史実なき時代に突入するため、そもそも、卑弥呼と同じくして本当に実在したのか定かではない。
追放された海の神
卑弥弓呼の正体に繋がる説はほぼ皆無と言っていいほど存在しない。だが、卑弥呼 天照大神説と同じくして、卑弥弓呼の正体についても、日本神話と照らし合わせることで、ある一人の神が比定されていることがわかった。
日本神話において、黄泉の国から帰ったイザナギは、汚れを落とすために禊をすることにした。禊の際、左目を洗うと天照大神(あまてらすおおみかみ)が生まれ、右目を洗うと、月読命(つくよみのみこと)が。そして鼻からは、須佐之男命(すさのおのみこと)が生まれたという。こうして三柱の神「三貴子(みはしらのうずのみこ、さんきし)」が誕生したのだ。
日本列島を作り上げた国生みの神イザナギから生まれた三貴子は、天照大神が天の国である高天原を。月読命が夜の国。須佐之男命は大海原と、それぞれを支配地を与えられる。使命を全うする天照と月読をよそに、須佐男だけは泣き喚き、ひたすらに荒ぶっていた。なぜかというと、黄泉の国に逝ってしまった母親、イザナミのことが恋しかったからだ。
そんな須佐男の姿にお怒りになったイザナミは、須佐男を大海原から追放。須佐男は、恋しさがゆえに、母イザナミがいる黄泉の国へと旅立つのだった。だがその前に、道中で天照の支配する高天原に挨拶に伺うことにする。しかし、須佐男の荒ぶる波動は各地を揺るがしていたため、天照は警戒体制をしいてしまう。害を及ぼさないことを約束する誓約(うけい)という契りを交わすも、須佐男はあっさりと約束を破り、天照のいる高天原にて嫌がらせの限りを尽くすのだった。
そうして怒った天照が洞窟に閉じ籠り、大きな岩で入り口を塞いでしまったのが、前回の記事(動画)でも語った「天岩戸隠れ」伝説だ。
なぜ、日本神話の一節を取り上げたのかというと、狗奴国を統治する卑弥弓呼の正体は、天照大神の弟、須佐男だったのではないか?と言われているからだ。
神話には必ずモデルとなった実際の出来事がある。もしかすると、最初に邪馬台国を任されていたのは須佐男(卑弥弓呼)だったが、その気性の荒さが祟って争いの世になった。そして、天照(卑弥呼)が祭祀王として君臨したことで、須佐男は邪馬台国より追放されたのではないか。実際に日本神話の中でも、天岩戸隠れのあと、悪行を働いた須佐男は高天原から追放され、後に出雲国へと辿り着くことになっている。この出雲国こそ、魏志倭人伝で記されている狗奴国だったという見解だ。
卑弥呼と卑弥弓呼の正体は、日本神話の二代巨塔、天照大神と須佐男だったのかもしれない。となると、卑弥呼の政治を補佐していた弟の正体は月読命と捉えても何ら違和感はないだろう。
狗奴国 - 出雲説 -
狗奴国は出雲王国だった。と、突拍子もない説を唱えてしまったが、正確には、出雲王国の領土内にあったとされている濃尾平野に、狗奴国があったという説となる。
東海地域の濃尾平野は、越前説と同じく大規模な水田稲作を可能とする平野だった。成立年代2世紀から3世紀だとされる複数の大規模遺跡群も発見されており、民を養える水田適地を政治の中心地として利用していてもおかしくなかったわけだ。だが、濃尾平野に邪馬台国やヤマト王権の痕跡は残されていない。その理由に、邪馬台国が手出しできなかった別の勢力が、その地を収めていたのではないか?と推測されているようだ。その別勢力こそ、卑弥呼の敵対する男の王、卑弥弓呼が収める狗奴国の勢力だ。
そもそも、魏志倭人伝に記されている狗奴国の位置は、邪馬台国より南となっているため、位置的にはまたしても矛盾する解釈となってしまう。この説に関しても、編者の地理感に間違いが生じ、実際は日本列島は東方向に続いているにも関わらず南方向に延びていたと、倭国の形状を誤解した状態で記していたと言われている。だが、現代のように俯瞰して日本列島を見られない以上。入り組んだ航路や凹凸の激しい陸路に翻弄され、間違った記述を残してしまうのも仕方のないことである。
しかし、濃尾平野にある熱田神宮には、須佐男が八岐大蛇を撃退した時に獲得した「草薙剣」が祀られており、卑弥弓呼と須佐男の関連性も僅かながら残っているのだ。のちに須佐男から出雲を任される大国主においても、天照大神により刺客を送られ、武力を持って国を譲渡させられる「国譲り」神話もある。国譲り神話も、邪馬台国に取り込まれた狗奴国をモデルにした物語である可能性も、考察する価値は十分にあるだろう。
狗奴国 - 熊襲説 -
狗奴国は、九州の中西部「熊本県」にあった。狗奴国の本拠は熊本県球磨郡にあり、のちに熊襲と呼ばれる九州南部にあった襲国だと言われている。ちなみに熊襲は日本神話にも登場し、のちにヤマト王権に討伐される部族だったとされている。邪馬台国連合に属さず、反抗を続けた狗奴国。そして、ヤマト王権に抗い続けた熊襲の部族。二つの類似点が、以上のような解釈に拍車をかけているようだ。
出土品から鑑みても、甕型土器(かめがたどき)や田式土器(重孤文土器)の分布状況を考慮して、今の熊本地方が狗奴国の主な領域だったと考えられており、遺跡から出土される鉄器の多さが目立つことが熊襲説を裏付ける一つの要素として成り立っている。弥生後期中葉になると、熊本・大分の菊池川、阿蘇から流れる白川流域で、鉄鏃・鉇・刀子などの武器・狩猟具・農具とあらゆるものが鉄器化したと考えられており、大分県大野川の上中流域でも、同様な傾向を示していたらしい。よって、潤沢な鉄素材の供給。工人の技術も高かったことから、弥生後期中葉(2世紀後葉)から末期(3世紀後葉)にかけての鍛冶遺構は日本列島の中で最も多い”、と言われているのだ。
また、魏志倭人伝の記述で、狗奴国の官が狗古智卑狗(くこちひこ)と記されており、現在の菊池市にあたる菊池彦という領主のことではないかと囁かれ、名前の関連性も紐づけられている。邪馬台国が北九州にあったとするならば、中・南九州が狗奴国の領域であったと考えるのは妥当だろう。クナ・クマという名前がある地名においても、狗奴国の名残である可能性が高いだろう。この線を辿っていけば、卑弥弓呼の読み名が、実際は彦御子・彦命であるという解釈とも符合する。いずれにしても、当時の熊本地方にも身分の高い人物が君臨していたのかもしれない。
卑弥弓呼の野望
権力争いによる兄弟喧嘩とする説。もしくは、豊富な水田適地を求めた奪い合いによる争いなど、卑弥呼と卑弥弓呼が歪みあっていた理由は諸説ある。お互い僻地同士として、思いの外距離の近いところに本拠地を構えていた可能性もあるようで、当時の情勢を考えれば、資源の確保を中心とした争奪戦になる可能性も無きにしも非ずだろう。
あくまでも想像の域を脱することはできないが、卑弥弓呼には譲れない何かしらの誇りがあったのかもしれない。女性を祭り上げる風習に愛想をつかせたのか。はたまた、身内であるが故の腹立たしさか。
いかんせん、卑弥呼が魏国より後ろ盾をつけたことによって、卑弥弓呼も動くに動けないもどかしい状態に追いやられていたことは確かなようだ。しかし、当時魏国の皇帝として君臨していた曹操の死がきっかけとなり、獲得していた後ろ盾は急遽揺らぎ始める。卑弥弓呼はウィークポイントを見計らい、邪馬台国に対して意を決して打って出たのではないか。
そんな卑弥弓呼の政治の読みが功を奏し、卑弥呼の死去……敗北というルートに繋がったのかもしれない。
卑弥弓呼について解説したが、いかがだっただろうか?
これまでアップロードした解説(記事)動画も含めて、本記事(動画)で公開している情報は決して真実ではない。あくまでも参考資料として、考察の糧としていただけると幸いだ。
畿内説を舞台として作り上げた映画「THE HIMIKO LEGEND OF YAMATAIKOKU」では、空白の歴史浪漫ファンタジーとして、エンターテインメントとして卑弥呼を描いている。まもなく上映開始となるので、是非ともご鑑賞いただきたい。
それでは、本日の記事(動画)はこれまで。
ナレーションは、映画「THE HIMIKO LEGEND OF YAMATAIKOKU」の脚本・編集・共同監督 H.A.Pとして監督を務めた、MAGUMAがお送り致しました。また来週土曜日の更新をお楽しみに。
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卑弥呼の映画が「日本神話」と「邪馬台国畿内説」を軸に奈良を舞台に誕生!2023年12月。空白の歴史浪漫ファンタジーが日本から解き放たれる。
映画『THE HIMIKO LEGEND OF YAMATAIKOKU』
【Story】 やりたいことがわからない普通の大学生「神宮司 日向子(じんぐうじ ひなこ)」は、進路と卒業論文が決まらず頭を抱えていた。幼馴染の「吉岡 刃(よしおか じん)」の提案により、幼い頃から見続けている「卑弥呼の夢」を論文にテーマに決めた日向子。教授「天野 照一(あまの しょういち)」協力のもと、日本史最大の謎「卑弥呼と邪馬台国」について研究に取り組むことになる。「この闇深い空白の歴史を、俺と一緒に探求する勇気はあるか?」現実世界に現れる黒い脅威。過去から託された遺産。邪馬台国はどうなったのか? そして、卑弥呼はどこへ消えたのか?日向子の決断は、夢の真相と邪馬台国の謎が直結する壮大な試練の幕開けだった。
出演:なかむらはるな 妃月洋子 冨家ノリマサ 田邉涼 小森貴仁 岸原柊 伽彩璃 長島翼 渡部陽一 高井俊彦 田中要次 村田雄浩
原作・脚本・編集:MAGUMA
脚本監修:佐藤マコト
音楽監修:宇津本直紀 / 藤とおる
撮影監督:藤田祐司
音楽:藤とおる / 葉桐新
キャスティング:清月エンターテインメント / Hizu Factory
主題歌・挿入歌:妃月洋子
共同監督:H.A.P
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