筆者の小説・詩

ショートショート「吾輩はイグアナである」著者 MAGUMA

吾輩はイグアナである。正式名称は『グリーンイグアナ』の『アザンティックブルー』と呼ばれる爬虫類の一種であり、この家では『ソラ』と名付けられている。吾輩が物心ついた時には、すでに人間たちで構成された共同体に引き取られていた。共同体の名は『家族』というものらしい。

 吾輩には親がいない。故に、なぜ人は共同体として生きていくのか? はなはだ疑問であった。なので、吾輩は自身のルーツを探るとともに、人とは何か、家族とはどういうものなのかを観察することにした。  

 吾輩の住処には、四人の人間が暮らしており、『息子』『母』『父』『祖母』で構成されている。

「飯はまだかい!」
「母さん、さっき食べただろ!」

 父方の母『祖母』という存在にはどこか他人……いや、他イグアナとは思えない親近感がある。なぜなら、顔にひしめき合うシワの数々が、以前吾輩が鏡で見た己の素顔と瓜二つだったからだ。

 吾輩はイグアナである。だが、吾輩は何者であろうか? 生きることだけに注力してきたが、共同体を見ていると、人間の『生き方』が興味深くなってきた。

 「ソラー、よしよーし、よしよーし」と、幼い息子が執拗に手で体を撫でてくると、吾輩はたまらず目を閉じてみせる。しまいには「きっとなでなでされて気持ちいいのよ」と母親が間違った解釈を植え付け始め、人間とはかくも都合の良い生き物だと肌身で学ばせてもらっている。どうしてそう吾輩の考えを勝手に捏造することができるのだろうか。

「そうなんだ。じゃあもっとなでてあげるね~」

 正直、やめてほしい。吾輩は触られることが大変不愉快である。性質上、触られることに喜びを感じない生き物なのだ。この家に招かれた当初は、吾輩の持つ尻尾を駆使して必死の抵抗を試みた。だが、幼かった頃の吾輩の尻尾ではびくともせず……最終的には吾輩が諦めることとなったのである。吾輩が目を瞑っているのは、決して甘えているからではない。そう、ただひたすら、息子が満足して立ち去る時を待つ"逃避行動"なのである。

「さて、ソラを散歩に連れて行くか」

 よく来た父。早くこの息子を退けてくれ。

 家を出る直前「魔物にしめ縄を忘れるんじゃないよ!」と祖母のとめどない剣幕に対し、父親は「母さん、しめ縄じゃなくてリードだろ!」と負けじと訂正していた。

 外へ出ると必ず多くの人間が吾輩に驚き二度見する。そのくせ、よく吠える毛むくじゃらの『犬』という種族には、持てる愛情を最大限に表して媚びへつらっている。別段、奴らからは何も返すことはないのに、不思議なものである。

「あ、またあの猫ちゃんだ」

 また奴か、と、吾輩は思った。
 息子の指差す方向を見ると、体の随所に焦茶色の模様がついた『猫』なる種族がのそのそと近寄ってきていた。その様子は、歩くことすら仕方なしと言っているようで、どこか面倒くさそうだ。この猫が来たということは、やる事はひとつしかない。

「ソラ、またお前にアプローチしにきたぞ~」

 そんな馬鹿なことがあるかと言いたいところだが、吾輩には声帯がないため伝わらない。

 この猫という生き物は、吾輩を見つけるや否や必ず頬を擦り付けてくる。息子と父親は猫による求婚と捉えているようだが、断じて違う。奴らこそ吾輩と同じ、利用できるものは何でも利用する。ただ、それだけのためにすり寄ってくるのだ。

「猫ちゃん、ソラのことすっごく好きなんだね!」

 奴が好きなのは吾輩ではなく、吾輩の"体"である。一定の人間に語弊を招きそうな表現となるため言い方を変えるが、吾輩の皮膚のゴツゴツ感が、どうも猫という生き物にとって大変気持ちのいい硬さをしているようだ。例の如く、吾輩は目を瞑って難が去るのを待つのみである。これがまた、"悦に浸っている"という誤解を招くことになるのだが、致し方あるまい。

「バイバイ猫ちゃーん」

 もう吾輩は用済みのようだ。しかしあの猫はいつもどこから来ているのだろう。吾輩のように、飼い主がいて、名をつけてもらっているのだろうか。それとも、宛てもなく自由気ままな生活を送っている原生生物なのであろうか。もしも後者だとしたら、吾輩は少しだけ、あの猫のことを羨ましいと思ったのであった。

 散歩なるものから帰宅し、吾輩が檻の中にて過ごすこと数時間。夜になると共同体は夕食を摂り始める。この時、共同体は『テレビ』という奇妙な物体を観ているのだが、吾輩はテレビから情報を得られるこの瞬間が、実はささやかな楽しみなのである。

「あら、今日はイグアナの特集だわ」ほう、興味深い。「ほんとだー!」と息子が言い、「ソラー、お前の仲間が出てるぞ」と、父親が、どうせ吾輩には伝わってないだろと言わんばかりの間抜けな口調で言葉を投げかけてくる。吾輩の意思もどうせ伝わっていないため、お互い様なのだが、やはり、吾輩は何も言わない。

「イグアナは害獣? 母さん、害獣ってなに?」

 ん? なんだそれは?

「害獣っていうのは、私たち人間に被害を与える動物のことを言うのよ。ていうかイグアナって外来種だったのね」

 吾輩は初めて、共同体の対話に耳を傾けた。一枚だと思ってかぶりついた小松菜が、実は幾つも重なっていて口から溢れた時程の衝撃的な内容であったからだ。

「誰かが外国から連れてきたイグアナが脱走したせいで繁殖したって話だな」
「でも、ソラは青色なのに、テレビのイグアナは緑だよ? なんで?」

 父の情報に、息子は純粋なる疑問を矢継ぎ早にぶつける。いいぞ息子。私も答えが知りたい。

「ソラは品種改良して人工的に生み出された生物だからだよ。もともとグリーンイグアナにブルーはいないんだ」
「品種改良ってなに?」
「人間が作り出した生き物ってことさ」
「そうなんだ!」

 天より食卓を照らす暖色が次第に薄暗くなっていく。実際にはそのような現象は起こっていないのだが、吾輩の遺憾を象徴するかのような錯覚に陥った。つまり、吾輩は喪心そうしんしてしまったのだ。

 まさか吾輩の種族がこのような扱いをされているとは思ってもみなかった。テレビによると、我が種族は希少な生物らしく、人間による過剰なペット利用が原因で絶滅の危機に追いやられているとのことだった。
 吾輩の首が無意識に上下に揺れ動く。本能が吾輩に首を触れとしきりに命令を下してくるため、従わざるを得ない。吾輩の体現はすぐに説明ができる。そう、怒りだ。

「あら、ボビングしてるわ。何に威嚇してるのかしら?」
「きっと喜んでるんだよ! ソラは僕らがいて良かったねー!」

 元来、吾輩たちは自由な種族だった。それを奪っておいて何が良いものか。人間のご都合主義にも限度がある。そもそもにおいて、飼っているにも関わらず、吾輩に関する情報をなにひとつ理解できていないのはいかがなものか? 吾輩は何者なのだ? 吾輩はなぜここにいるのだ? 解せぬ。解せぬ。解せぬ。

 吾輩はこの牢獄のような住処から離れなければならないと思った。でなければ誇りを失い、自身の尊厳を守り抜くことができないからだ。確かにここなら天敵もいないし寒さもない。だが、吾輩が自ら望んでやっていることといえば、"生きること"だけだ。この共同体のおかげで生きることはできているが、そもそも元いた自然界にいても可能だったはずだ。吾輩から言わせれば、人が飼うために命を作ることは生への冒涜である。秩序を乱せば、相応の代償を支払わなければならない。では、誰が精算しているのか? そう、吾輩だ。人間の代わりに精算させられているからこそ、吾輩はこの小さき牢獄に閉じ込められているのだ。

 騒々しい食卓から一変し、暗がりと静寂に満ちた空間で、吾輩は檻の出口を必死でこじ開けようとしていた。脱出をし、在るべき生活へと戻るためだ。実際の生態については吾輩はわからないが、生きるために、必要なことだと思ったのだ。

 興奮冷めやらぬ吾輩とは反対に、部屋そものもが眠りにつき始めた矢先。仕事を終えたはずの空間に再び人の気配が近づいてくる。祖母と父親の声だった。

「母さん! こんな夜中にどこいくんだ! 勝手に外出されて怪我でもされたら困るんだよ!」
「ガミガミガミガミうるさいね! わかったからさっさと寝室に戻りな!」

 大袈裟に息を吐き散らかしながら、父親はその場から去っていく。祖母と父親の揉め事は日常茶飯事だったため、今更気になることはない。それよりも、早くここから抜け出さなくては。

「おや、あんたも脱走かい」

 ん? なぜわかった?

「あんたの顔見てりゃわかるよ。勝手に心配されて閉じ込められてうんざりしてるんだろ?」

 その通りだ。

「私の人生も全部あの子らに握られてるよ。みんな私が病人だと思ってるんだ。ボケた婆さんの言葉など誰も真に受けないのさ」

 しかし、吾輩には助けてくれる同族すらいない。

「あの子らは私の心配じゃなく、私がやらかした後の事が心配なんじゃよ。人間なんてみんなそういうもんじゃ」

 ならば祖母はなぜ、ここで生きているのだ?

「大切だからじゃよ」

 大切? 何がだ?

「本当に大切なものは、いつも忘れられがちじゃ。でも、私にとってこの家族は、忘れられないくらい価値のあるものなんじゃよ。失うと絶対に後悔する。だから私はここで生きてるんじゃ」

 よくわからないが、なかなかに面白いことを言う。と、吾輩はどこかで感心していた。

「母さん」

 父親が戻ってきた。先ほどとは打って変わって、どこか声が穏やかだ。

「あいあい、言われなくてももう戻るよ」
「違うんだ。さっきはごめん。言い過ぎた。もし外に出たいんだったら、いつでも俺たちに言ってくれよ。行きたいところ、みんなでどこへでも連れてってあげるから」
「そうかい。じゃあ、また明日その話をしようかね。今日はもう寝るよ」
「わかった。じゃあおやすみ」
「おやすみ。いつもありがとね」
「……うん」

 先程までの論争はなんだったのか。人とはつくづく奇妙な生き物だ。

「青いの。ここも悪くないぞ」

 吾輩の意思が伝わっているのか、もしくはたまたまなのか、わからない。しかし、最後にもう一度、吾輩は祖母に思いを飛ばしてみた。

 祖母よ、おやすみ。

「おやすみ、ソラよ」

 吾輩はソラである。四人家族の一員として生活するグリーンイグアナのアザンティックブルーである。

 吾輩には四人の家族がいる。いつも吾輩を気にかけてくれる息子と、新鮮な野菜を与えてくれる母親。健康のために温浴させてくれる父親に、話し相手になってくれる祖母だ。

 吾輩を軸に、いつも家族は楽しく生活を送っている。吾輩がただ生きてここにいるだけで、どうやらこの家族を幸せにすることができるようだ。これが吾輩の役目というのであれば、生存本能に従い、もうしばらく、共同体の一員として生きてみようと思う。

 吾輩にとって、大切なのは生き続けることだ。吾輩が長生きすることによってこの家族が幸せになるのなら、それもまた、悪くない。と、そう思った次第である。

「ソラー! 学校行ってくるねー! よしよしよーしよしよーし!」

 ……ありがたい。ありがたい。

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