実在が疑われている天皇家の欠史八代をはるかに凌ぐほど、謎に包まれた日本の女王「卑弥呼」。時を経た今でも、邪馬台国の女王に関する数々の学説が浮上する中。昨今、吉野ヶ里遺跡での新たな石棺の発掘で話題が急上昇している。だが、それを上回るかもしれない発見が、奈良県は富雄丸山古墳にて堂々と地上に姿を現した。
卑弥呼の存在と畿内説を裏付ける有力な発見となるか。果たして、その信憑性やいかに?今回は、富雄丸山古墳にて発掘された蛇行剣・銅鏡・竪櫛・水銀朱について簡単に解説していこうと思う。
それではしばしの間。私とともに歴史の浪漫の渦へと旅を始めよう。空白の時代に生まれた地。奇跡の棺へと誘う旅へ。
空白の時代に生まれた古墳
4世紀後半。富雄丸山古墳が作られた年は、卑弥呼と邪馬台国の記録があった年と、倭の五王がいたとされる5世紀の間。つまり、空白の時代に製造されたと言われている。直径109メートル。2017年に実施された上空からのレーザー測量調査では、円墳としては全国で最大規模を誇ることが判明した。墳丘は3段構造で、古墳の北東部には造り出しという、過去に祭祀か埋葬場所として使用されたと言われている突出した部分が発見されている。取り沙汰されている出土品は、その造り出しから発掘されたものである。木棺を粘土で覆った粘土槨。つまり、棺を収めるために使用された外箱。その後も続けて、重なるようにして眠っていた鼉龍文(だりゅうもん)盾形銅鏡と蛇行剣も出土され、富雄丸山古墳の名前は大きく話題となっていった。
奈良盆地北部。奈良市街地から西方にある富雄川右岸に位置する地形の構造からも、大王ではなく豪族のお墓だったと推察されているようだ。しかし、当時は鍵穴のような前方後円墳が通例だったが、富雄丸山古墳に関しては円墳として君臨していたところが珍しく、非常に興味深いところだろう。これらの解明された結果からも、ただの豪族ではなく、大王を近くからサポートする重要なポジションを獲得していた存在が埋葬されている可能性が高いと言われている。
全長5・6メートルのコウヤマキと呼ばれる丸太で出来た棺は、中をくり抜き仕切り板で3分割されており、中央に位置する主室と言われる場所に、被葬者が納められていたようだ。頭部であった場所には、当時、魔除けとして使用されていたと言われる水銀朱という赤色顔料の影響で地面が真っ赤に染まっていたようで、足元には9つの竪櫛。そして副室と言われている場所には、3枚の銅鏡が発見されたという。この銅鏡こそ、卑弥呼が魏国から受け取ったとされている「三角縁神獣鏡」ではないかと噂されているのだ。
さて、実は肝心の頂上付近でも木棺の粘土槨が発見されている。大きさは全長約6.9メートル。造り出しから出土した木棺よりも一回りい大きく、頂上部で発掘された木棺の被葬者は男性であった可能性が高いと言われているそうだ。このことから察するに、前述した造り出し部分で発掘された木棺には、女性の被葬者が埋葬されていたことが推測できる。
根拠としては、頂上部の木棺からの出土品は、鉄や銅の矢じりであったことから男性と推定することができ、新たに調査中である造り出し部分の木棺からは、銅鏡3枚と髪にさす竪櫛のみ。竪櫛は男性にも埋葬されるものだそうだが、武器系統の出土品が確認されていないことからも、造り出し部分の木棺の被葬者は女性であったと仮定されているようだ。一説には、きょうだいで埋葬されたという話もあるが、根拠は定かではない。
古代日本史においては、統治王は男で、祭祀王に女性という二人三脚が通例だったという話もあるため、おそらくは男性がその地を納め、女性はシャーマン的な役割を担っていたのではないかと考えられている。追い求め続けている卑弥呼についても、祭祀を司る卑弥呼の代わりに、政治的役割を行う補佐役の弟がいたことも魏志に記されている。このことからも、富雄丸山古墳に埋葬されている男性被葬者、女性被葬者と何らかの共通点があった可能性はなきにしもあらずだろう。
残念ながら明治時代において盗掘に遭っているため、主たる者が埋葬されていたであろう場所からは残っている出土品しか発見できなかった。現在は再調査という名目で再び発掘作業が行われ、冒頭でも話したような蛇行剣や銅鏡などの新たな発見に繋がることとなった。これらの発掘が話題となり、富雄丸山古墳の存在感が昨今急激に伸び代を見せているのだ。
しかし、盗掘されていたとされる遺物品については、京都の弁護士である守屋孝蔵が収集していたようで、没後、祭器で使用された碧玉製石製品(へきぎょくせいせきせいひん)や、クワガタ石諸々の手がかりは、京都国立博物館にて、現在も厳重に保管されているようだ。
始まりの剣
2022年12月。誰の記憶からも消え去っていたはずの木製の鞘に包まれていたその剣は、突如、現代に再び産声を上げた。
富雄丸山古墳から発掘された出土品の中でも一際目立っているのが、古代東アジア最長だと言われている長剣「蛇行剣(だこうけん)」だろう。高さ2メートル30センチ余りの長剣は、いかなる理由で精製され、誰の手により振り翳されたものなのだろうか。はたまた、献上品として授かり、権威の象徴として飾られていたものなのか。真意は定かてはないが、常識離れした蛇のようにうねった刃を見ていると、同じくして常識からかけ離れている卑弥呼と邪馬台国の史実なき歴史との関連性を疑うのも無理もない。
蛇行剣は各地で出土しているものの、これほどの長さを誇ったものはいまだかつて存在しない。一説によると、富雄丸山古墳にて、ヤマト政権の関係者が埋葬されたという話もあるため、豪族たちの同盟の証として配られていたものではないかという裏付けもある。
さやの木材はホオノキ。持ち手には黒漆(くろうるし)で塗られた装飾。くさび形の柄頭。これまで約80本ほど製造されたと言われる蛇行剣だが、今回出土されたものはその中でも最古に位置付けられているようだ。日本神話屈指の名エピソードである素戔嗚尊と八岐大蛇の戦いはご存じのお方も多いかもしれないが、蛇行剣は八岐大蛇から出てきた草薙剣として崇められていたものではないかという仮説もあるらしい。
2メートルを超える剣を鍛えるには、それなりの鍛冶炉が必要となる。このことから考えられるのは、4世紀後半に想定されていた鉄器の生産設備に関する考察が覆るかもしれないということだ。炉に送る風や温度を高めるために必要な装置など、専門家が想定しきれなかった文明がその時期にあったかもしれない。同じく出土された鼉龍文(だりゅうもん)盾形銅鏡においても、日本で一般的に見つかっている丸形の銅鏡ではなく盾の形をしており、そのうえ大きさも最大級である可能性が高いことから、匠の技も然り、当時の鍛治技術が計り知れないものであったことが伺える。
さすがにこれほどの長さを誇る蛇行剣を実際に振りかざすことは不可能に近いため、おそらくは儀式や献上品として扱われていた魔力や権威の象徴的なアイテムだろう。当時の戦士はこの剣を見て奮い立っていたのかもしれない。
蛇行剣と鼉龍文(だりゅうもん)盾形銅鏡は重なるようにして眠っていたそうだが、その理由に、埋葬時に被葬者を邪悪な存在から守られるよう祈りを込めて収められたと考えられている。このことからも、蛇行剣も、鼉龍文(だりゅうもん)盾形銅鏡も、魔除けという共通の目的で使用されていたことも推測できる。
また、柄の縁についた突起は剣によく見られる特徴のひとつだそうだが、柄頭の部分は楔形の形状である可能性が高いと言われており、これは、刀に見られる特徴であるという。相手を突く剣と相手を斬る刀。1年にわたるクリーニングの末。最長を誇る巨大蛇行剣は、剣と刀の両方の能力を兼ね備えていることが見えてきたようで、本蛇行剣がより特別なものであることは、数ある発見から次第に裏付けられており、空白の時代を解き明かすための重要な手掛かりになるかもしれないと、専門家の間で今も囁かれ続けている。
鏡が導く真実
それは、卑弥呼が魏国より授かった献上品であろうか。
蛇行剣の話もそこそこに、何よりも着目したいのは造り出し部分から出土した木棺内にあったとされる銅鏡3枚である。その1枚に、卑弥呼が授かったと記録されている「三角縁神獣鏡」と推測される貴重な出土品が存在する。
三角縁神獣鏡は、縁の断面が三角形。真ん中の周辺に神像や神獣が描かれていることから名付けられた、中国の魏で作られたとされる円形の鏡。240年に魏の皇帝は邪馬台国の女王卑弥呼に、銅鏡100枚を渡したと魏志倭人伝に書かれていたことから、三角縁神獣鏡も、卑弥呼と邪馬台国を探る重要な手がかりとして研究され続けている代物だ。
しかし、これまで三角縁神獣鏡と呼ばれる銅鏡は約600枚ほど出土されており、中国製と日本製と入り乱れているため、明確な根拠としてはいまだ約束されていないのが現状らしい。故に、今回の発見においても、必ずしも卑弥呼と関連があるのかと聞かれれば首を縦に振ることは難しいだろう。だが、そんな中でも判別方法はあるようだ。それは、銅鏡の製造方法を探ることだと言う。どうやら、中国製は黒っぽくなり、日本製は青錆が出やすくなるところが判別ポイントらしい。
中国製の鏡にはスズという金属分が多く含まれているため、表面が黒く変色していく。対して日本のものは銅の成分が多いため、目立った青い錆が出やすい。青錆が確認できれば、日本製であることがわかるという。これらの科学的根拠から考察し、今回出土された鏡は限りなく黒に近い状態が確認されたことから、おそらくは古い時代に製造され、卑弥呼が授かった銅鏡と同じ時代のものではないかと推定されているのだ。
蛇行剣と同じく、銅鏡は有力者に分配されたものと見られている。時代を探究することで、鏡の種類を特定することができれば、ヤマト王権における政治的な関係性での結びつきを割り出すことができるそうだ。卑弥呼とヤマト王権創立までの間。いったい倭国で何があったのだろうか?出土された鏡は、謎に包まれた空白の4世紀を解明する糸口になるかもしれない。もしかすると、卑弥呼と邪馬台国についても深く関連づけられていて、長きにわたる論争に終止符が打たれるかもしれない。
答えがあばかれるその日まで
富雄丸山古墳と出土品について解説したが、いかがだっただろうか?
卑弥呼にまつわる出土品は、周期的に邪馬台国説があったとされる地に度々発見されている。その度に有力候補として名を連ねていくことになるのだが、実際のところは、まだまだ根拠としては不十分であり、はっきりとした結論は出ていない。
卑弥呼と直接の関わりはなくとも、今回の富雄丸山古墳での発見が、歴史から完全に姿を消している空白の150年の解明に役立つ重要素材となってくるのかもしれない。そうなれば必然的に、追い求め続けた卑弥呼の正体も明らかになるのではないか。感知できていない時代に、つい浪漫を感じずにはいられない。引き続き、続報を心待ちにするとしよう。
それでは、本日の記事(動画)はこれまで。
ナレーションは、映画「THE HIMIKO LEGEND OF YAMATAIKOKU」の脚本・編集・共同監督 H.A.Pとして監督を務めた、MAGUMAがお送り致しました。それではまた、次回の更新をお楽しみに。
それでは、また。
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