マグロは口を開けて泳ぐ。海水に溶けた酸素がエラを通過し、常に呼吸を続けているからだ。これをラムジュート換水方法といい、マグロが止まると死んでしまうのは、泳ぐことを止めると酸欠状態となるかららしい。つまり、窒息死するのだ。彼らは生き続けるために、永遠に動き続けなければならないということだ。
世の中には、寝る間も惜しんで働く夢追い人たちが大勢いる。体に鞭打ってまで、健康を害してまで手に入れたいものがあるからだ。だが、あわよくば睡眠時間や食生活の摂生を重んじながら夢と理想を追求したい。だが、それだと一流の世界にたどり着くことは、一部の天才を除いて到底不可能だし、成功者と呼ばれる者たちの口からも「無理だ無理だ」の連呼が繰り返されている。飛び抜けるためには、無茶をして限界を突破することも必要な賭けなのかもしれない。
僕ら人間は、マグロの性質と似ている。
物事を進行し続けていれば、人間は自ずとハイになっていく。かかったエンジンを自ら止めにかかるまで歩みは止められず、まだだ、まだだと、先へ先へと手を伸ばす。満たされた人生を送るため、何よりも「生きるため」に、目に見えない幸福を探し求めてもがくのだ。しかし一度止まれば、不思議なことにどんな人間でもたちまち脱力し、再起するのに時間がかかる。コンフォートゾーン(安全領域)の心地よさに麻痺してしまい、かつての大躍進を忘れ、精神と肉体の両方が老いて腐り、文字通り「死」を迎えるのだ。
肉体の停止だけが死ではない。僕は、人間が思考を停止することも、ある種の「死」なのではないかと思っている。
人間も物と同じで、使わなければ錆でいく一方だ。新品の建物であっても、人の気が入らないとあらゆるものが壊れてしまう。稼働し続けている人間は、止まるとどうなってしまうのか理解しているのだろう。故に、今日も明日も明後日も、身を粉にして働き続けることを選ぶ。
ただし、動くことと動かないこと、どちらが正解という話でもない。陰と陽に善悪の概念がない陰陽五行思想と同じく、結局のところは心身に調和をもたらすことが最善の策となる。ここで重要となってくるのは、僕ら一人ひとりが”どう生きたいか”だ。
僕らは知識を持ったマグロだ。マグロのように、泳ぎ続けることを宿命付けられてはいない。
歯車が朽ち果てるまで勇ましく回し続けて死ぬのか。微動だにせず心身ともに錆びついて死ぬのか。どちらかを選択する知識がある。つまり、幸せになるのも、不幸になるのも、貧乏になるのも、金持ちになるのも、僕らはすべて無意識に選択しその道を歩んでいるということ。現状は、自分が選んだ結果なのだ。
現場に納得がいく者、いかない者。考えは十人十色。ただ、もし納得していないのであれば、超えていくしかない。泳いで泳いで、マグロのように口を開けて泳ぎ続けるしか道はない。この社会はそういった競争で成り立っている。酷く辛いし酷くしんどいが、仕方のないことだ。
しかし僕らは人間は、止まってから死に至るまである程度の猶予がある。動く時。動かない時をうまく組み合わせて、マグロとは違う人間らしい幸せな生き方を手に入れることができる。ならば、授かった知識を恩恵に変えた方が、幾分か良い人生を歩めるというもの。
宇宙という壮大な規模から小さな生き物に至るまで、本当によく共通した真理と仕組みが構成できているなと思う今日この頃。マグロを引き合いに出したが、おそらくマグロはマグロで、あれがもっとも効率の良い生き方なのだろう。そもそも、他の魚や人間と比較するような知識を持ち合わせてはいない。至ってシンプルだ。そう考えると、僕らよりも弱肉強食の世界で生きる動物たちの方が、生きるためだけに生きることができる”真の幸せ”を手に入れているのかもしれない。
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