過去以上に同業者のパフォーマンスを観る機会が増えた。明らかに、配信スタッフを始めたことが要因だ。各アーティストの多種多様な個性に触れる機会に恵まれると同時に、曲調から動きを予測してカメラワークとスイッチャーのボタンを使い分ける能力も磨きがかかってきた……ような気がしている。ほとんどが初対面のアーティストのため、もちろんどんな曲を歌うのかも知らない。センスと瞬発性が問われる技術職だと痛感している。
僕は昔からパフォーマンスにおける演出にこだわるタイプだった。なので今でも、他のアーティストのステージングには勝手ながらシビアな目線で見ていたりもする。
個人的な意見になるが、インディーズアーティストのステージングは詰めの甘いところが目立つ。プロフェッショナルなアーティストには同様にプロフェッショナルな演出家もついているため、当然質の高いステージを作り上げることができるが、そうなるまでは自分で突き詰めるしかない。いわゆる、セルフプロデュースというやつだ。
極論、オリジナルであろうがカバーであろうが関係ない。つまらないものはつまらないし、面白いものは面白い。カバーであっても演じ手の人柄とステージのステージングさえ整っていれば、オリジナル楽曲を所有するアーティストを凌ぐことが可能なのだ。
本当の意味でお客様に寄り添ったステージングとは何なのだろうか? 戦うフィールドによって戦法は変わってくるだろう。
例えば歌謡界の場合。お客様は基本的に年配者が多い。彼ら彼女らは往年のヒット曲が共有財産として記憶の中に宿っているため、宝物庫にアクセスしてあげると受け入れてもらいやすくなる。アニソン界でも同じだ。過去の名曲を挨拶がてらカバーするだけで、お客様との距離感を縮めることができるだろう。しかし、この手法は歌唱力が伴って初めて効果を発揮する。
歌が上手いのは当たり前な世界で生きる我々にとって、その上手さを最大限に活かすのがステージング(演出)だ。ステージングこそ個性を発揮させ、音楽の力を底上げしてくれる肝心要の技術だろう。
でも残念なことに、ステージングを重要視しているアーティストが少ないことも事実。結果、一辺倒で自己満足的なパフォーマンスばかりとなってしまうのだ。(偉そうに言っているが僕も鍛錬中)
アーティストやメロディーや歌詞の中に物語があるように、ステージの上にも物語がある。エンターテインメントはアーティストの物語が伝わって初めて共感を呼び、感動を与えることができる。僕らはお客様の感情曲線になぞったステージを届けなければならない。
伝えるためには、まずは堂々としていることが大切だ。アーティストはお客様に不安を与えてはならない。不安は必ず伝染するため、虚勢でもいいから歌詞や演奏を間違えても常に胸を張って立つことを意識しよう。どんなに小さな会場であったとしても、武道館や横浜アリーナで歌っているイメージを働かせるといいだろう。練習不足であったとしても身内と喧嘩をして機嫌が悪かったとしても、お客様には関係のないことだ。
あくまでも普通のことを話しているだけだが、意外とできていないアーティストが多い。不安を抱きながらステージングを軽視しているアーティストのステージは観ていて辛くなるものだ。素人の目から観ても甘さがハッキリとバレるため、マニュアルを作ってでも詰めていくことが大事だろう。素人をバカにしてはいけない。
物語にプロローグからエンディングがあるように、ステージにも起承転結が必要だ。始まりと終わりを明確に伝えなければお客様は混乱する。ステージにおいて「終わりよければすべてよし」は通用しない。ステージングこそ、初手がすべてを制すると言っても過言ではないだろう。
アーティスト個人のステージだけでなく、ブッキングイベントにも同じことが言える。
トップバッターは損な役回りだと思うアーティストが多いが、実はトップこそ重要な役どころなのだ。何故なら、実力もステージングも乏しいアーティストがトップを飾ってしまうと、イベント全体がそのアーティストと同じレベルだと判定されてしまうからだ。いくら後半に実力派アーティストが控えていたとしても、初手を外してしまうとお客様は途中退室してしまうだろう。それくらい、プロローグは大切なポジションとなる。
僕の場合はインパクトの残る曲はお客様の心を開くキーとなるため、必ず頭かケツに配分する。それはカバー曲でも構わない。要は、お客様(特に新規)の心の歯車をほぐすための潤滑油をプロローグとするのだ。ちなみにプロローグに投入した潤滑油はケツに持ってくることでまた違った感動を与えることができる。同じくらいの影響力のある楽曲であれば抜群の効果を発揮するだろう。
心の歯車が回り始めれば、基本的にあとは何を歌っても受け入れてくれる。観客が味方になってくれたタイミングで配置するのが、自分自身が一番聴いてほしいと思っている楽曲だ。物語で言えばこの真ん中が山場となり、観客が一番注目するシーンだからだ。
20分ステージの場合は2曲目。
30分なら3曲目と4曲目。
90分ステージなら10曲目から3曲ほどあれば十分だろう。
映画の脚本にも型があるように、ステージングにもある程度の型が必要だ。これでもかと言うほど丁寧に組み立てなければ人間には伝わらない。逆に、型を抑えてさえいれば簡単に楽しんでいただくことができるのだ。
さて、ただ曲を組み立てればいいと言う話ではない。ステージングの中にはもちろんMCも存在する。master of ceremony(マスターオブセレモニー)……イベントの支配者となるのだ。物語で言えば、MCは主人公の台詞に位置する。
MCにおける禁則事項は特に存在しないが、暗黙の了解として「言い訳をしない」「政治的発言はしない」「テーマを明確にする」が主なポイントだろう。
「言い訳」とは、例えば風邪などの理由でコンディションが整っていないことや歌詞を忘れてしまったりなど、歌えなかった理由をわざわざ観客に伝える行為のことだ。観客からすればアーティストの事情は関係ない。何故ならアーティストという商品にお金を払い、時間を提供した上でエンターテインメントを楽しみに来ているだけだからだ。コンディションが悪いのはアーティストの責任。重要なのは、どんな状態であろうと最高のステージを提供する誠意である。他の同業者と一味も二味も違う存在感を出したいのであれば、「言い訳」のないMCを心がけるといいだろう。
「政治的な発言をしない」については個人的な考えだ。テーマがテーマなだけに、この類の話題は「喧嘩になりやすい」から除外している。世界情勢、戦争反対、アーティストは様々な思想をのせて音楽を発信している。想い自体を否定するわけではないが、エンタメの舞台と戦いの舞台は違うものだと思っている。エンターテインメントのフィールドは、現代社会で傷ついた人々が癒しを求めて来る場所だ。既に戦い続けている人をさらに戦わせる必要があるのだろうか?僕らは現実世界にほんのちょっとの夢をエッセンスとして盛り込み、戦う人たちを救済することが仕事だ。もちろん、癒し以外にも気づきを与えるという啓発的な要素もあるが、喧嘩をすることを目的としてはいけない。
ただし、スタイルには個人差があるため強要はできない。あくまでも、調和を尊重して観客と向き合ってほしいと切に願う。
「テーマを明確にする」ことはステージングに必要不可欠だ。ステージは物語。プロローグがあればエンディングもある。MCが登場人物の台詞だとすれば、ステージという名の物語にはテーマがあるはずだ。一曲一曲違ったテーマの楽曲が揃うため、ひとまとめにパッケージングするのは難しいかもしれない。しかし、意外と全体のテーマを決めてしまえば、各楽曲を適材適所当てはめていくことができる。むしろセットリスト決めが楽になると思っている。脚本や小説、作詞をする上でも欠かせないのがテーマだ。テーマは冒険者で言う地図のようなもの。どこに向かうか決まっていなければ歩き出せないし道に迷ってしまう。作り手として築き上げていくためには指針が必要となるのだ。道が決まっていれば、必要な道具(楽曲)が何か見えてくる。観客に楽しんでいただき何を受け取ってもらいたいのか、良質なセットリストを構築するには、冒険者の地図「テーマ」を決めることがとても大切だと覚えておこう。
ステージに立つあなたは物語の主人公だ。主人公(歌い手)には必ずカメラ(観客の目)が向けられているため、気を抜くことは許されない。物語(ステージ)にはテーマがあり、主人公はテーマから外れた台詞(MC)を発言するわけにはいかない。観客がどう観て良いのかどう聴いて良いのかわからない破綻した内容となってしまうからだ。
そして、主人公は作品の中では戦うことを許されるが、観客と戦うことは決して許されない。日々、戦いの場で疲弊した観客達へ癒しと喜びを提供するグレートプレゼンターになることを意識しよう。
やることが多くて大変面倒くさいが、手間暇かけて作った料理を美味しいと感じるのは相応の時間と労力がかかっているからだ。思考を凝らした綿密な仕組み作りは、クリエイターに与えられた共通の課題なのだ。
作家として活動する僕は、モノ作りを物語に置き換えて考えるようにしている。人ひとりの人生には膨大な物語があるからだ。あなたが物語を綴る作者であるならば、その物語には演出をつけなくてはならない。演出によって、あなたの人生に価値があることを証明できるのだ。たかが10分20分のステージであってもステージングという行為を怠れば、あなた自ら価値を隠してしまうことになってしまう。それは非常にもったいないことだ。
石も磨き続ければ必ず輝くように、アーティストは自身のステージングと向き合い続けてほしいと思う。その結果、多くの観客に想いが伝わることを信じて。