筆者の思想

調和のとれた生き方について

専門外の分野であっても、どこにでも必ず学びがある。習得したい技術とは違った、意外性のある学びだ。

例えば、アーティストは裏方の動きを学ぶことで、舞台での立ち居振る舞いや、イベントを主催する上で必要な人員であったり、段取りを組むことが可能だ。ひとつのイベントをとっても、その裏ではたくさんの人間の協力があって成り立っている。技術的精神的ノウハウはもちろんのこと、もっとも大切である「人への感謝の気持ち」も養えるのだ。ただステージで歌っているだけでは知りようもない世界。知らない世界にこそ、本当に自分に必要な叡智が隠されているのかもしれない。

学びの場は千差万別。同時に、幸福の尺度も千差万別だ。人間は変化にストレスを抱くよう設計された生き物だが、変化を経て行かなければ進化はありえない。進化の先にある幸福へ辿り着くためには、失敗のリスクを恐れている暇などないのだ。だが、変わらないことも一つの幸福への道標となる。進化を求めるあまりに、すでに手元にある幸福を手放してしまう人間も少なからず存在する。経済が上り下りを繰り返すように、時代も進んでは戻るを繰り返している。故郷を旅立てば、帰郷することだってある。進化と幸福は、常にイコールではないということだろう。

モチベーションの継続も大切なことだが、心と体に療養期間を与えることも一つの仕事と言えよう。動き続けなければ死んでしまうマグロのような人間もいるが、全員が全員、同じ人間になれるとは限らない。人には人の性質があり、個々の性質を理解・分析・解釈をしたのちに、初めて「自分なりの生き方・やり方」を発見することができる。

僕は僕で、極度の人見知りで偏屈な人間だが、それでは切り開けない未来もあるのだと痛感している最中だ。自分の人間性についての学びは、専門外の分野に携わることで顕著に問題点が浮き彫りになってくる。自身のデメリットをあぶり出すという意味では、専門分野の外側に攻め入るのも効率的な動きになるのかもしれない。

どんな成功者であっても、サステナブルなモチベーションを持っている人間はどこにも存在しない。と、個人的に思っている。ある程度の経験を重ね、携わっている事柄に不自由を感じなくなると、作業そのものが退屈で仕方がなくなる時がある。退屈は人を殺すもの。だからこそ次なる刺激を求め、新たなる事業への進出を志すのだろう。心の旅は、自分に足りない報酬を探しにいくようなもの。そして、心を満たす報酬は、生きている限りすべて集め終えることはできないと思っている。だからこそ、短い人生の中で、生きている間にどれほど多くの報酬を手に入れることができるのかが、カルマを刈り取る上での重要事項となってくるのではないか。

焦りすぎはよくないことだ。だが、人生にいつ終止符を打たれるかわからない以上、じっとしているわけにもいかない。どちらが正しいのか。調和についての学びに終わりはない。

それでは、また。

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