僕は、魔法を信じている。見えない力は必ず人の心を動かせると知っているからだ。
残念ながら、僕のように魔法を信じる人は少ない。火を吹くドラゴン。手から光を放つ人間など、現実離れした特別な力だと思っているからだろう。だが、僕の信じている魔法は、映画や漫画の世界で観るようなものではない。もっと身近にあるエンターテインメントのことだ。
「タネも仕掛けもありません」という典型的な謳い文句で始まる手品・マジック。ほとんどが統計学で成り立つ占い(諸説あり)。他にも音楽や芝居すべてが魔法によって構築されている。仕掛けあるものが「魔法ではない」と思う人も少なくはない。しかし、僕は違うと思っている。
何故なら、人は仕掛けによって感情を揺さぶられているからだ。
シンガーソングライターは聞き手の頭の中に情景が浮かぶよう詞とメロディーを構成している。映画であれば、人間の感情曲線に影響を与えやすい緻密な脚本の型がある。現に「あるものをないように」見せられ、まんまと心の琴線に触れられ、受け手は驚き、時に涙している。
感知できない現象すべてにおいて、魔法と呼んでもおかしくはない。超常現象だけが神秘とは限らないのだ。
先日、魔法使いと名乗る真生(MASAO)さんのギフトマジックへと行ってきた。大変素晴らしく、感動的な催しだった。
一般的にみればマジックショー……しかし真生さんはマジシャン・手品師ではなく、自身のことを魔法使いと名乗っている。マジックと感動を掛け合わせて、魔法のように心に刻まれる特別な体験を提供しているからだそう。
「魔法はそれぞれの人生に宿っている」と真生さんは語る。彼の使命は、人々の常識をぶち壊して、マジックを超えた新世界へと誘うこと。来場したすべての人が「魔法使い」であると伝え、生きていく中で忘れてはならない「優しさ」「道徳」の大切さをメッセージとして発信していた。僕は肌身でギフトを受け取り、真生さんの掲げるテーマがあらゆるエンターテインメントに共通していると感慨を覚えた。
映画、本、美術、お笑い、音楽、etc……
スキルによって生み出されたものには、必ず魔法が宿っている。人は知らずのうちにメッセージを受け取り、夢や課題と向き合うキッカケを得ているのだと。
魔法には、我に帰ることができる不思議な効力もある。今回のギフトマジックを体感して、僕は過去を振り返るキッカケを与えられた。
根拠のない自信のもとひたすら夢を描いていた頃。未来のことも自分自身のこともろくに知りもしない若者が、どうやって空いっぱいに浪漫を広げられたのかと……しばらく思いを巡らせた。答えは簡単だった。僕らは「心も体も身軽だった」からだ。
人は壁にぶつかる度に情報をアップデートしていく。華やかな未来が待っていると信じて、先へ先へと進み続ける。しかしある時を境に、何故だか足取りが重くなっていることに気がつく。
いつの間にか装備した武器や鎧で、身動きが取れなくなっていたのだ。
人はルールで縛られることに違和感を抱かず生きてきた。従順になる事が正しいことだと思い込んでいたからだ。結果、数々の規約が刻み込まれてがんじがらめになり、幼き頃のような純真な眼差しで世界を見れなくなってしまった。普通に生きているだけでは、気がつくことができなかっただろう。僕の場合は、ギフトマジックでかけられた魔法のおかげで振り返ることができた。
掟によって世の乱れが正されている一方。人が本来持っているの価値(可能性)も抑制された現代。
だからこそ、僕は魔法が救いの手段だと思っている。
手品でもいい。占いでもいい。好きなアーティストのLIVEパフォーマンスでもいい。読書でもいい。美術でもいい。魔法は疲れ切った心に癒しを与え、人生が素晴らしいものだと気付かせてくれる。
人類は少しずつ、植え付けられた価値観を疑うようになってきた。誰もが内側の声に耳を傾け、スキルを生かし、利他の精神で社会へ貢献し始めている。自分の行動で誰かが感動したのであれば、あなたの魔法が相手の人生を変えたということだ。
MAGUMA STUDIOSのモットーは「想像で世界を変える」。僕の想像で生み出された物語が誰かの心に響き、より多くに幸せを伝染させると願って考えたもの。僕は文章と物語という魔法を使って、世のため人のために執筆を続けたいと思っている。
この世に魔法は存在する。
自分から内なる自分を見ようとしなければ手に入らないもの。
魔法は人にも、自分自身にもかけられる。
もう一度、夢いっぱいに生きていこう。