広告 筆者の思想

メタバースとどう共存して生きていくのか

肉体と思考を放棄する世界がやってきた。

半強制的であり物理的な明るい未来は、人類に何をもたらすのか。原始時代より形を変えない人間の脳は、テクノロジーで強引に拡張された世界の変化に耐えることができるのだろうか。

僕らは現代の膨大な情報量を受けて疲弊していることに気がついていない。結果、メンタル疾患を起こして社会から退場する人が続出している。となると、次に与えられる知識の恩恵は「電脳化」だ。処理が追いつかないのであれば、脳そのものを改造する他に方法はない。

人は世界をドラマティックに見る傾向にあるらしい。映画に影響されているのかもしれないが、どうしても世の中は悪い方向へ進んでいると思いがちだ。

メタバースが良い未来となるのか悪い未来となるのかは予言者でもないためわからない。が、人間の本来持っていたはずの能力はテクノロジーによって退化させられてしまっていると思っている。

科学によって贈られたモノは、「人類が楽できること」を尊重して作られたモノが多い。

元々思考を凝らして生きてきた人類は、少しずつ「何もしなくても生きていける」環境に身を投じ始めてきた。歌い続けなければ歌唱力が劣るのと同じで、ナチュラルに常備いていたはずの能力も活かす場所がなくなり、やがては衰えていく。

必ずしも、テクノロジーが進化を促しているとは言い難いと僕は思っている。むしろ、程の良く後退させられているのではないか? と疑ってしまうくらいだ。

魔法には対価が必要になる。特別な力を手に入れる代わりに、僕らは必ず「大切な何か」を支払っているのだ。提供する代償は当人に選ばせてはくれない。悪魔は知らず知らずのうちに、僕らの内側に眠っている「大切な何か」を奪い取っていく。それは時に視力であったり、時に思考力であったり、形は様々だ。

肉体の呪縛から解き放たれ、電脳化により記憶を失うこともなく、永遠に働き続けることができる不死身の媒体を得ることができるメタバースの未来。楽しみである一方。世界の流れに身を委ねていても良いのだろうかと不安が拭えない。

僕はゲームが大好きだった。小学生〜中高生くらいまでは、オンラインゲームも然り相当な時間を費やしていた。しかし、いつしか没頭している時間がもったいなく感じるようになり、たまにプレイしてはみるものの「このままではいけない」と我に帰り集中して遊べない精神となっていた。

遊び心を無くしてしまうのは創作者として致命的だと我ながら思う。具体的な境界線を覚えてはいないが、ある日を境に自身の考え方が変化したことは確かだ。そんな状態でもわずかながらゲームの楽しさは覚えているため、メタバースが本格的に到来したらどうなるか想像に難しくない。間違いなく、僕は仮想世界に魅了されるだろう。

SNSや各娯楽は、人の心理を熟知して構築されている。脳内のドーパミンを放出させることなど容易い。メタバースの没入間は、今では匂いや感覚まで得られるように設計されているそうだ。現実世界の区別がつかず、顔のコンプレックスからも抜け出せ、疲れることのない世界が訪れたら……天国と称されてもおかしくはない。

良い面を見ればとても魅力的な未来だ。だが僕は、在るものを放棄する未来は好ましくない。

今この瞬間にある、ありとあらゆるモノに浸っていたい。そもそも今の世界が仮想現実と言われたらそれまでだが、少なくとも僕にとってはこの世界が現実だからだ。まだまだ行ったことのない国もあるし、触れたことのない自然もある。それらは今、確かに存在しているのに、知らないまま肉体と精神を手放したいとはどうしても思えない。僕は顔の作りは良くないが、自分の顔を変えたいとは思わない。反吐が出るほど自分が嫌いだが、嫌いであるほど自分のことが好きなのだ。

僕が望む進化は、精神を研ぎ澄ませることで目覚めるナチュラルなものだ。ただし、精神世界における進化は、科学に触れれば触れるほど衰退していくだろう。かと言って、文明社会を捨てて生きるのにはなかなか時間がかかる。悔しいことこの上ないが、テクノロジーとはバランスをとって付き合っていきたい。

どうすれば地球上で調和を尊重した生き方ができるのかを日々考え続けている。

お金が大好きだし大富豪になりたいと常々思っているが、お金のいらない世界も夢見ている。自身の作品をもっと世に知らしめ、たくさんの生命に影響をもたらしたいと思っているが、テクノロジーとは一定の距離感を保ちたい。現在、僕が利用しているツールはYoutubeとホームページ、LINE公式アカウントくらいだ(Twitter、Facebook、Instagramも辞めてしまった)。

社会は何故か調和を保とうとする存在を丁重に扱ってはくれない。どちらか片方に突出しなければ、認められないような風潮があるからだ。要は目立てばいいというだけかもしれないが、僕のようなバランスを取ろうとする人間なら生きづらいことこの上ないだろう。

ビジネスにおいても、今後はメタバースを中心に展開されていく。叡智は惜しみなく仮想世界に注ぎ込まれ、現実と仮想の両極端な世界がさらに加速していく。能力あるものだけが豊かな生活を手に入れ、能力に気づかない者が一気に淘汰されていく時代だ。

これまでの歴史のように、未来は目に見える狂乱の時代にはならないだろう。僕らが知らない領域で闇の根は力強く芽吹いていき、気づいた時には囚われの身になっているかもしれない。知らぬが仏とはよく言ったモノだが、自分の人生、支配される生活はまっぴらごめんだ。

側から見れば息苦しそうに見えるだろうが、上述したような疑念が拭いきれず、常日頃からこれからの生き方を模索し続けている。思考を巡らせることは好きだ。数字にはめっぽう弱いが、人の哲学的な課題は答えがないから面白い。哲学は、あらゆることに答えがないことを明確に示している。そもそもにおいて、誰にも答えを決める権利はない。数ある解答に対し、尊重し理解しようとする心こそ「調和」になると信じている。

メタバースを否定はしないが肯定もしない。地球は調和で成り立っているのだから、僕はいつだって真ん中から傍観し続けようと思う。だが、こんなことを言っておきながらもまんまと仮想世界に引き込まれているかもしれない。それもまた人生だろう。

だからこそ、今ここに在るモノに感謝をし、出来るだけ多くと触れ合って生きていきたいと思っている。

この体に眠る力をどこまで発揮できるのか。自分が何者なのか。どうせ生まれてきたのなら、死ぬまでに出来るだけたくさんの真実を知っておきたい。メタバースは真実をさらに有耶無耶にさせてしまうツールだと懸念している。

没入するのなら、器を最大限に利用してからでも遅くはないだろう。

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