皆さま、こんにちは、こんばんは、おはようございます。MAGUMAです。本動画(記事)をご覧いただき、誠にありがとうございます。
卑弥呼の正体について説かれている数々の説の中でも、神功皇后説と並んで有力な候補としてあげられているのが、本日解説する「倭迹々日百襲姫」です。巫女としての役割の担っていたことや、奈良県桜井市にある卑弥呼と墓と呼ばれる場所「箸墓古墳」が、宮内庁が正式に「倭迹々日百襲姫」の墓と指定していることから、卑弥呼というミステリアスな存在のモデルになった人物だと考察されているようです。
果たして、卑弥呼とはどのような関係性があったのでしょうか?今回は、日本神話の中で、初めて人間と神様との恋物語としても描かれた倭迹々日百襲姫について解説していきます。
それではしばしの間。僕とともに歴史の浪漫の渦へと旅を始めましょう。皇女でありシャーマン 卑弥呼 倭迹々日百襲姫説へと誘う旅へ
Chapter 1「倭迹々日百襲姫」
卑弥呼との同一人物説を解説する前に、まずは「倭迹々日百襲姫」がいったい何者だったのか掘り下げていきましょう。日本書紀では「倭迹々日百襲姫」。古事記では「夜麻登登母母曽毘売(やまととももそびめ)」と表記され、第7代孝霊天皇と倭国香媛(やまとのくにかひめ)の間に生まれた皇女で、第10代天皇である「崇神天皇」の叔母であると言われています。
日本書紀には、「神を憑依させる巫女」別名「神憑り(かみがかり)」という役割を担っていたと記されており、謀反を起こそうとしていた「武埴安彦(たけなひやすひこ)」の思惑を「お告げ」により察知し、崇神天皇に報告をしたことで、反乱を未然に防いだという代表的なエピソードが残っています。
他にも、倭国での争いを避けるために奈良から讃岐の東部へとでやってきたという伝承も残されています。今から二千年以上も昔のことです。奈良の黒田廬宮(くろだのいおどのみや/孝霊天皇の宮)を旅立った倭迹迹日百襲姫は、「うつぼ船」に乗って西の海へと流れ出ました。やがて、彼女の船は現在の香川県東かがわ市引田町にあたる安堵(あど)の浦へとたどり着きます。その地に降り立った姫は、水の清らかな場所を求めて、さらに水主(みずし)の里・宮内へと移り住みました。そこでは土着の人々に米作りの方法を教え、水路を整備し、さらには雨乞いによって実際に雨を降らせた――と、このような物語が、社の伝承として今も語り継がれています。
倭迹々日百襲姫によって、国の騒乱をおさめた逸話は他にもあります。この神話的なエピソードは、古代日本において天皇がいかに神々の意志を重んじ、国の安寧を保とうとしていたかを示す重要な伝承のひとつです。
物語の中心には、崇神天皇が、疫病で混沌とした国の混乱を鎮めようと八百万の神々に占いを行う場面があります。その占いの結果、巫女である倭迹迹日百襲姫の身に大物主神が降臨し、「自分を正しく敬い祀ることで、国に平穏がもたらされる」と告げます。この神託に従い、崇神天皇はすぐに大物主神の祭祀を行いましたが、すぐに目に見える変化は起こりませんでした。そこで崇神天皇はさらに祈りを深め、神の真意を求めます。すると、天皇の夢の中に再び大物主神が現れ、「自分の子である大田田根子(おおたたねこ)にこそ、祭祀を任せるべきである」と告げます。この神託を受け、天皇は大田田根子を探し出し、大神神社の神官として迎え、大物主神を祀らせました。
その結果、それまで国を苦しめていた疫病は静まり、人々の暮らしは安定し、五穀豊穣が訪れたと伝えられています。この伝承は、祭祀の正統性や、神意に沿った儀礼の重要性を語るものであり、また、神と人との関係、政治と信仰の結びつきがいかに深かったかを知るうえでも、この物語は非常に示唆に富んだ内容となっています。
しかし、日本神話に登場する神武天皇からなる8代の天皇は、実在の信憑性が非常に薄い「欠史八代」と呼ばれていて、第7代「孝霊天皇」もそのうちに含まれてしまうため、必然的にその皇女である倭迹々日百襲姫も、卑弥呼と同様に実在性が疑われているのも確かです。
もし実在していなかったとすれば、今お話しした逸話は、我々にいったい何を伝えたかったのでしょうか。
Chapter 2「神と人間の恋物語」
卑弥呼の墓と呼ばれている場所「箸墓古墳」の名前の由来も、実は、倭迹々日百襲姫の伝承と深く関連づけられています。先ほどChapter1でお話しした「倭迹々日百襲姫」に憑依したとされる「大物主」。実は、この両者は恋仲であったと記された伝説が存在するのです。人間と神の儚い恋物語は、とても有名なエピソードのひとつでしょう。全容を知らない方のために、今から、その物語の中身を簡単にお話します。
ある夜から、姫のもとに毎晩現れるようになったのは、顔も名前も知らない謎の男でした。彼は夜が更ける頃に静かに現れては、朝になると何事もなかったかのように姿を消す――まるで夢の中の幻のような存在です。やがて姫は、その男に心惹かれ、深い恋に落ちていきます。けれども、その正体がわからないまま想い続けることに、姫はやがて疑念と焦燥を抱くようになりました。
彼の正体を知りたいと願った姫は、ある策略を考えます。家臣に命じて、男が来たときに彼の衣に針を刺し、そこに赤い糸を通しておき、夜が明けたらその糸をたどっていくというものでした。そして夜が明け、赤い糸を追っていった家臣たちがたどり着いたのは、奈良・三輪山のふもとにある大神神社でした。この神社の御神体そのものである三輪山こそが、男の正体を示す場所。彼は三輪山の神であり、大物主命(おおものぬしのみこと)という名の神だったのです。姫は、夜にしか訪れない大物主神の姿をはっきりと見たいと願います。大物主は最初は拒否するも、断りきれず、「絶対に驚いてはいけない」という条件つきで、朝小物入れをのぞくよう話した。しかし翌朝、姫は箱を開けた時に小蛇を見たことで約束を破り、悲鳴を上げてしまいます。自身の正体を見て驚かれた大物主神はお怒りになり、「二度と会うことはない」と姫のもとを去り、三輪山に帰ってしまうのでした。
最愛の存在を、自らの行動によって失ってしまった倭迹々日百襲姫は、絶望の果てに腰を下ろしたところ、箸が陰部に刺さり命を絶ってしまいます。それこそが、のちに「箸墓古墳」と呼ばれるようになった場所そうです。
神である彼の正体を暴こうとした行為は、神の世界に対する冒涜とも捉えられましたのかもしれません。人の側から神を覗き見ようとする行為、つまり“見えないものを無理に見ようとする”ことへの戒めとして、この神話は語られてきたとされます。
Chapter 3「卑弥呼と倭迹々日百襲姫」
では、両者はなぜ同一視されるようになったのでしょうか?
最初にあげられるのは、お墓として祀られている場所が「箸墓古墳」であること。そして、卑弥呼が使っていたとされる「鬼道」なるものが、倭迹々日百襲姫の「神憑り(かみがかり)」と非常に酷使している…つまり、卑弥呼も百襲姫も、巫女(シャーマン)であったという点が大きな考察の要因となるでしょう。
他にも、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)という名の中に含まれる「姫命(ひめのみこと)」という表現や、天皇の娘を指す「皇女(こうじょ)」の呼称は、いずれも「ヒメミコ」と読むことが可能です。この「ヒメミコ」という音は、古代中国の史書に登場する「卑弥呼(ひみこ)」という名称と、発音上きわめて類似している点が注目されています。
こうした音の一致から、倭迹迹日百襲姫と卑弥呼との関係性を指摘する説が一定の支持を集めています。特に、「ヒミコ」という呼称が「日の巫女」、すなわち太陽に仕える巫女的存在を意味しているという解釈は、天照大神(あまてらすおおみかみ)を信仰の中心に据える神道的な立場からは自然なものとして受け止められており、この見方が一般的といえるでしょう。
一方で、倭迹迹日百襲姫、すなわちモモソヒメについても、「ヒメミコ」、つまり神聖な女性皇族あるいは巫女的存在としての側面を持っていたとする説が存在するように、「ヒメミコ」という言葉の響きや意味を手がかりに、倭迹迹日百襲姫が卑弥呼、あるいはその後継者や同類の巫女的存在であった可能性を探る議論が続いています。
実は、卑弥呼ではなく、皇族となるもうひとりの人物も百襲姫の比較対象として検証されています。それが、卑弥呼の後を継いだとされる「台与」の存在です。
崇神天皇の在位期間は、おおよそ3世紀後半から4世紀の初めにかけてとされています。この年代に基づいて歴史を見ていくと、卑弥呼の没年と時代的な整合性が取れないことがわかります。卑弥呼は3世紀中頃、つまりそれよりも少し前の時代に亡くなったとされており、崇神天皇の治世とは重なっていないため、直接的な関係性を見出すのは困難です。
このことから、倭迹迹日百襲姫が卑弥呼であるとする説には無理があると考えられます。むしろ、卑弥呼の後を継いだとされる台与と倭迹迹日百襲姫との関係性のほうが、時代的に見てもより整合性が高く、信憑性があると考えられています。したがって、倭迹迹日百襲姫を台与と同一人物、あるいは密接な関係にあった人物として位置づける説が有力視される傾向にあります。これは、邪馬台国と大和政権とのつながりを探るうえでも、ひとつの大きな視点となっています。しかしながら、台与と百襲姫の年齢が正確に合わず、確信的な主張が断念されているのが現状のようです。
今後の研究に、期待が寄せられます。
最後に
卑弥呼 倭迹々日百襲姫説について解説しましたが、いかがでしたでしょうか?
「神憑り(かみがかり)」をもって、民衆を救った百襲姫の実績は、卑弥呼の鬼道と共通する部分が多々あるものの、正確な時代との整合性が取れず、いまだに迷宮入りしている説のひとつです。
百襲姫は皇女ではありますが、女王というわけではありません。この相違点についても議論の余地が無限にあるため、一概に、この説を提唱できないこともうなずける事実でしょう。もしよければ、あなたの考えもコメント欄にてお聞かせください。
それでは、本日の記事(動画)はこれまで。ナレーションはMAGUMAがお送り致しました。それではまた、次回の更新をお楽しみに。
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