ヒット曲「ヨーデル食べ放題」有名人の父親を持った息子の話

どうも!架空のアニソンシンガーMAGUMA(@maguma_info)です!

   

登校拒否をしていた中学生時代…精神も不安定だった時期。

僕はこの架空のアニソンシンガーという活動をする前は、父のシンガーソングライター「リピート山中」の手伝いでこの音楽業界に足を踏み入れました。

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機材運びからやがて舞台に立ち始め、空白の1年も入れて、共に活動を始めて早10数年が経った今…僕と親父が、ツーマンライブを開催。

大盛況で幕を下ろしました。

2019年2月23日「歌う!親子会」神戸新開地・喜楽館にて。

ようやく父と対等な立ち位置で一つのイベントを作り上げることができ、僕はまた一つ、プライドという壁を打ち破ることができました。

何故、今ツーマンをやったのか?そして、空白の1年間とは?

これは、有名な父親を持ってしまった息子の「意地」と「葛藤」のお話。

大好きな父親は人前でパフォーマンスをする人気者だった

リピート山中、この名前に聞き覚えのある方はいらっしゃりますでしょうか?

名前は知らずとも、この曲なら知っている人は多いはず。まずはこちらをご覧いただきたい。

https://www.youtube.com/watch?v=0V2sTlmI8-w
桂雀三郎withまんぷくブラザーズ「ヨーデル食べ放題」

聴いたことありませんか?主にスーパーの肉売り場で。

今ではJR環状線「鶴橋」駅の発車メロディーに使用されているほどです。

鶴橋は焼肉屋の多いエリアなので起用されたみたいですね。

リピート山中 1960年神戸市生まれ。小学生時代聴いたグループサウンズやフォークソングに影響を受け12歳から 弾き語りを始める。アマチュア~セミプロとして活動を続けながら、1996年、桂雀三郎withまんぷくブラザーズとしてメジャーデビュー。 元祖フォークシンガー高石ともや氏に見出され、ソロシンガーとしての活動も本格化。2000年、自作の『ヨーデル食べ放題』が大ヒットし、2001年長嶋ジャイアンツ公式応援ソングも担当する。TVレギュラー・ラジオパーソナリティー(担当番組がギャラクシー大賞受賞)を経て、現在さまざまなテーマで歌を作り唄うメッセンジャーとして全国を唄い歩く。ギターを担いで北アルプスや富士山に登り行う山小屋コンサートや山頂ライブ。医師に同行しての僻地での往診コンサートなどをライフワークとする。また地球や心の環境、家族をテーマにした楽曲で、小中学校などでの『唄う講演会』の依頼を受けることも多い。出かけて出会って感じて唄う、体験派シンガーソングライター。 2015年から 『ヨーデル食べ放題』 がJR大阪環状線の鶴橋駅発車メロディーとして流れる。 代表曲 『ヨーデル食べ放題』         『加藤文太郎の歌』 『白い花が好き』 『夏山賛歌』 『播隆の風』 『涸沢のうた』 『飛騨山脈賛歌』 『往診ハラショー』 『ロコモかしこもサビないで』 『頑張れ!スイゾウちゃん』 『わが家のハルウララ』 『ありがとうのうた』 『それぞれの味・サッポロ黒ラベルのうた』 『行こうよ!おいでよ!須磨水族園』(神戸市須磨海浜水族園テーマソング)

幼い頃、父の出演するイベントによく母親に連れて行ってもらっていた。

人前で面白そうなことをしている父を見ながら、どこか羨ましい眼差して観ていた記憶があります。

しかしその頃の僕の目には、シンガーソングライターとしてではなく、大好きな父親としての彼の姿があったのです。

とにかく遊んでほしかった子供時代。

だけど芸の道はスケジュールの管理が難しいのも現実で、父と遊んでもらえないことで拗ねることもしばしばあった。

今となっては、考えられないことですが(笑)

そうして時を経て、まさか息子である僕までもが、その業界に足を踏み入れることになるとは…父も思いもよらなかったことでしょう。

同じ業界へ入ったことで、次第に距離が離れていく

紆余曲折あり、僕は父と同じ芸の道を志すことになります。

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順風満帆かと思われていた親子での音楽活動。

 

しかしそこで待っていたものは、親子であるが故の劣等感の嵐だった。

 

必然的に比較対象になり、コンサートの打ち上げでは年上から決まって言われる「父さんはすごいぞ」「父さんを見習わなあかんぞ」の叱咤激励(僕にとっては苦痛)の言葉たち。

正直、その時の僕の心の中にはこの回答しかなかった。

 

そんなこと言われんでもわかっとんねん!

 

一緒に活動してるのは俺やぞ?

野暮なことをいちいち言うてくるな!

 

日に日に増していくストレス。

同時に、大好きだったはずの父親が、次第に妬ましい存在へと変わって行きました。

「意地」と「葛藤」親父なしでも俺はやれる…!チャンスを逃し続けた音楽活動

ここからの僕は愚かさの極みでした。

自分はしっかり未来のビジョンを捉え、自分をよく理解できた大人なんだ!

根拠のない自信を胸に、わざと父親とは違う活動をし、離れる道を歩んだ。

 

とにかく早く実績を出したいがために、人脈が少ないため、身近で音楽活動をしている知り合いに雑な依頼を出したことだってある。本当に、申し訳ないことをしてしまいました。

 

僕が役者、声優の道を目指したのも、実はこの精神状態のものからでした。

とにかく、父にはない何かを僕は手に入れたかった。

でも、結局それが何なのかは最後までわからないままでした。

 

今の状態の僕なら、あの頃に戻ればいろんなチャレンジができたのに。

 

硬いプライドは、多くのチャンスを逃すものなのです。

そして鬱に…硬く高く築き上げたプライドは、崩れ去ると大変なことになる

とにかく我武者羅になっていた時期。

「自分にプラスになることであればなんでもやる!」

そう心に決めていた僕は、芝居、アルバイト、音楽活動、全てに全力を注ぎました。

 

・ここまでやればできる。

・俺は正しい。

・俺はすごい

 

しかし、良かれと思ってやった全ては、「鬱」という名の爆弾により見事に崩壊。

どんなに硬く高く築いた建物も、小さなヒビを突かれれば忽ち無に帰する。

そして、一度崩れたものを立て直すにためには膨大な時間とエネルギーが必要になるのです。

公演を控えていた芝居を辞め、ソロコンサートも中止し、アルバイトも辞めました。

 

全て、良かれと思ってやっていたことでした。

父との活動が辛い、生活が辛い、人間関係が辛い、しかしそれよりも

 

好きなことをやりたくなくなる状態が一番辛かった。

 

この経験を経て、自分の限界というものを知ったのでした。

父からの独立、離れてから得た大切な想いたち

ある時、僕はずっと続けていた父との音楽活動に一度終止符を打った。

そしてそれと同時に、長く住んでいた実家から飛び出して一人暮らしも始めました。

このままずっといてはいけない。変わるなら、自分から違う環境に飛び込んでいかないとダメだ。僕にしては、なかなか良い判断だったんじゃないかと今でも思います(笑)

 

父のいない環境で音楽活動を続け、改めて感じる偉大さ、そして厳しさ。

でも、一人になったことにより気持ちが軽くなったことで、これまでにない清々しい感情で仕事に取り組めました。

成功もあれば、もちろん失敗もありました。

それも全て、一人にならないと絶対にわからないことだらけ。

学ぶことで過去の自分を俯瞰できるようになっていき、やがて僕は、

 

プライドという一つの壁を超えた場所にいました。

 

いくつも壁は存在する。でも、一つ超えるだけで世界が変わって見えたのです。

父から離れた空白の1年、そして再び手を取り合う

ソロで様々なチャレンジを行い、気づかぬうちに抱えていた闇がなくなっていることを知りました。

架空のアニソンシンガーである前に、僕は一人の歌手として、もう一度父と仕事をしようと決意。

そしてツーマンライブ「リピート山中&MAGUMAの歌う!親子会」へと繋がりました。

神戸新開地・喜楽館「リピート山中&MAGUMAの歌う!親子会」にて

初の漫才にも挑戦しました。

親子デュエット架空のアニソン「炎の遺伝子オヤコーン」も作り披露しました。

沢山のお客様に笑っていただけました。

そして何よりも…

 

父と子で、一つの大舞台を成功させました。

 

今まで一緒に活動はしてきましたが、こうしてしっかり二人だけで構成するツーマンは初めてでした。この時ようやく、僕は一人のアーティストとして認められたのだと感じました。

 

長い長い暗闇の中から抜け出すタイミングをきっと天に計られていたんだと僕は思います。

いや、抜け出すレベルになるまで待っててくれたと言う方が正しいかな?

 

父と対等に舞台に立ち、そこでつっかえていたものが全て取り除かれ、ふっ切ることができたのです。

一つの旅が終わり、父や仲間達と共に新たな旅路へ…

架空のアニソンシンガーMAGUMAとしては今年で7年になります。

が、父との活動を含めるともう10年以上もこの世界にいることになる。

その間、沢山の仲間とも出会えたし、これからも沢山の出会い別れが訪れるはず。

 

妬ましい存在だった父「リピート山中」との活動も再開し、現在も共に各地方を歌い廻っております。

 

父との活動も続きますが、架空のアニソンシンガーMAGUMA個人の旅もこれからなのです。

偉大さに押し潰されまいと奮闘し、仲間達と共に日々戦っています。

 

有名人の父親を持った息子の話。

彼のおかげで僕は今でも走り続けられています。

 

いつかまた酒でも飲みながら、親父と笑って昔話ができるように、感謝と共に息子は目標に向かって突き進むとします。

 

父を追い越すその日まで。

 

 

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

アニソンシンガーになりた過ぎて勝手になってしまった男。 実在しないアニメの設定を考え、そこから主題歌、挿入歌、エンディングテーマを作り唄っている。 夢を追うより呼び寄せる「夢呼人」として、 人生を何でもアニメに見立ててアニソンを生み出している。 地域のお祭り、ライブイベント、その他様々なエリアで活動中。 夢は架空のアニソンで紅白出場。 キャッチコピーは「日本一呼びやすいアニソンシンガー」